カルメンの国際結婚雑記ブログ

オーストラリアや英語、スペイン語やメキシコの情報を発信しています!

三木弘の絵画鑑賞を横須賀美術館でしてきました

こんにちは、カルメンです!今回は、横須賀美術館に行って、三木弘の絵画鑑賞をしてきたときのことを書いてみようと思います。良かったです。2019年4月14日までやっていますので是非ご覧になってください。 


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三木弘

横須賀美術館で三木弘の絵画鑑賞をしてきました

横須賀美術館の展示室5にて、三木弘の絵画が20点程飾られていました。とても良かったです。

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バラ

 広い展示室に程よい照明で、落ち着いて絵を楽しむことができました。

 

絵はときに、強いメッセージ性を持ったものもありますが、私が三木弘の絵が好きなのは、何かを訴えるために描かれたものではなく、ただ好きだから描いた、という穏やかさが感じられるからだと思います。

 

三木弘が18才のとき、初めて出品した水彩画が新聞で「後期印象派風」と言って、非常に称賛されたそうです。1918年のことです。三木弘の絵は、緻密とは正反対といえる絵なのに、描いているものを的確に表現しています。そして自由さが感じられるのが見ていて楽しいところでしょうか。

 

ニワトリを描くことが好きだったようで、ニワトリの作品がいくつも美術館に展示されていました。どのニワトリも生き生きと描かれていて見ていて楽しいのですが、描き方が違っています。いろんな技法にチャレンジしていたのでしょう。技法が違っても魂のようなものは同じ気がします。

 

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横須賀美術館

 

 こちら↓の記事も併せてご覧ください。横須賀美術館の情報などが記載されています。

carmenzakki.hatenablog.com

 

carmenzakki.hatenablog.com

 

横須賀美術館で三木弘の絵画鑑賞をしてきました・まとめ

三木弘は1900年に和歌山で生まれ、1982年に京都で亡くなりました。子供のときに家族とともに朝鮮半島に移住し、1945年の第二次世界大戦終結により、日本に引き揚げてきた激動の時代を生きた画家です。若いときに東京とパリで絵を学んでいます。

 

そんな知られざる詩情の画家・三木弘の絵画は、横須賀美術館にて2019年4月14日まで鑑賞することができます。

 

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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屈斜路湖の3月・御神渡り(おみわたり)現象

こんにちは。カルメンです!今回は、3月7日に屈斜路湖に行って、御神渡り現象を見れたので写真やビデオでお見せしたいと思います。毎年見れるわけではないそうで、運が良かったと思います。 


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屈斜路湖の3月・御神渡り現象

 

屈斜路湖の3月・御神渡り現象

今回、私が見た御神渡り現象は、屈斜路湖の東側の砂湯から仁伏温泉方面へ湖面沿いに歩いていったところです。

 

よく、12月や1月には屈斜路湖に来ていたのですが、3月に来てみると、湖面は凍結していました。

 

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屈斜路湖の3月・砂湯付近

 手前は温泉が出ているので水が暖かいのです。白鳥さんたち、快適ですね。御神渡り現象の場所は、この写真のもっと右側の方です。

 

御神渡り現象というのは、湖面の氷が気温が下がることによって収縮し、割れ目が入り、そこに水が入ってまた凍結します。気温の上昇により、割れ目に入った部分が膨張することにより氷がせり上がってできる現象のことをいうそうです。

 

ビデオに撮ってみました。音も入っていますので聴いてみてください。

 

 


屈斜路湖の御神渡り・3月7日

 

屈斜路湖は北海道東部の弟子屈町(てしかがちょう)にあります。日本最大のカルデラ湖、つまり火山活動によって陥没したところに水がたまってできた湖です。

 

湖の中央部には中島という、これも日本最大の湖中島があります。湖面が結氷すると、鹿など野生動物たちが氷の上を渡って中島に行っているようです。氷の上に足跡がたくさんありました。

 

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鹿の糞

御神渡り現象が見られた砂湯というところは、湖岸を掘ると、お湯が沸き出てくるところです。面白い場所です。機会がありましたら、是非行ってみてください。

 

 

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屈斜路湖の3月・御神渡り現象・まとめ

御神渡り現象としては屈斜路湖が日本一の規模だそうです。毎年見られるわけではないそうですが、2月の一番寒い時期を過ぎた後から3月位の間に見られるそうです。屈斜路湖御神渡り現象の情報については、川湯エコミュージアムセンターにお問い合わせください(電話:015-483-4100)。

 

御神渡りの音が…ちょっと怖かったです…

  

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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北海道でのお葬式の費用はどの位だったか?(道東)

こんにちは。カルメンです。今回は、北海道で(道東)かかったお葬式の費用がどの位だったかお伝えしようと思います。

 


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北海道でのお葬式の費用はどの位だったか?(道東)

 

※単位:円

 

支出

戒名料:100,000

お布施:150,000

足袋料:3,000

お車代:10,000

 

祭壇料(香典返しと忌中引含む):467,476

 

会館使用料:25,000

 

貸し布団代:(4人分):5,184

 

買い物代(お菓子や飲み物など):21,781

 

弁当代(二日間計72食分):36,000

 

印刷代(会葬礼状葉書き100枚):4,860

 

遺影代:30,000

 

菓子代(祭壇用):2,200

 

果物代(祭壇用):1,814

 

合計:857,315円

 

 

 

収入

香典:487,000

 

 

支出-収入

 実際に私たちが支払った金額:370,315

 

北海道でのお葬式の費用はどの位だったか?まとめ

実際には、このあと、大変お世話になった自治会に3万円、地区会に2万円ほどお礼としてお渡ししています。お花のアレンジは一つ1万2千円でした。

 

お弁当は、親族のためと、お手伝いしてくださった方たち(25名)のためだけでした。香典返しは540円のものを60個、忌中引は3240円のものを25個用意しました。

 

葬儀代の中には、遺体の搬送料(25,298円)や亡くなってから葬儀までのドライアイス代(5日間、28,080円)、仏花(5,400円)なども含まれていました。

 

60名位の方たちが来てくださいました。北海道は助け合いの精神が強く、何から何まで助けていただき、滞りなくお葬式を終えることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。 

 

 

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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ダイアモンド・ダストが見られた北海道、弟子屈の2月

こんにちは。カルメンです!今朝はダイアモンド・ダストが見られたのでビデオを撮ってみました。すごくきれいだったのですが、私の技術力が劣っていて、うまく伝わらないかな…


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ダイアモンド・ダストが見られた北海道、弟子屈の2月

ダイアモンド・ダストが弟子屈(てしかが)で2月13日の朝、見られました。


ダイアモンド・ダスト(北海道、弟子屈、2月)

 

雰囲気だけでも味わっていただけたでしょうか?実際に見ると、キラキラとそれは綺麗です。

 

2月13日は父のお通夜の日で、午後4時に父の棺が運び出されます。父が自宅にいられる最後の日の朝、ダイアモンド・ダストが見られたというのは感慨深いものがあります。

 

父が永眠して病院から自宅へ連れてきた日と次の日には、すぐ近くまで鹿4頭が来て(日中)、自宅前の川にはマガモのつがい、餌を置いているところには、アカゲラやカケス、シジュウカラゴジュウカラなど、次々にたくさんの鳥たちが来ました。

 

餌をあげていた人が死んでしまったのがわかるのかな?なんて思ってしまいました。今は、キツツキが家の壁をトントンたたいています。

 

ダイアモンド・ダスト・まとめ

 ダイヤモンド・ダストは条件が揃わないと見ることができないそうです。雪ではありません。よく晴れた朝で、気温がマイナス10度以下であること、水蒸気が昇華していることが条件です。細氷(さいひょう)と言って、小さな氷の結晶が日光により、輝いて見えるのです。 

 

 

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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肝臓がんと肝硬変と闘った父の死

こんにちは。カルメンです。肝臓がんと肝硬変と闘った父が静かに息をひきとりました。病院から電話が来て午前3時に外へ出たら、外気温マイナス29℃という寒さでした。 


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肝臓がんと肝硬変と闘った父の死

肝臓がんを宣告されたのは1年と4か月前でした。もともとC型肝炎ではあって、それから肝硬変にもなりました。

 

89才だった父は、ついこの間まで一人で何もかもやって生活していました。

 

最近は転びやすくなっていて、3か月前に老人会で温泉旅行に行ったとき、転んで頭と胸を打ち、それから「なんか調子が悪いんだ」と言っていました。

 

その後ベッドから落ちてもう一度胸を打ち、自分で救急車を呼び、入院しました。

 

それからしばらくして頭に血がたくさんたまり、脳がなすのような恰好になっていたときは昏睡状態に陥っており、緊急で脳外科手術を受けました。

 

今考えると、肝臓が悪くなっていて、出血しやすい状態になっていたのだと思います。

 

手術後、めきめき元気を回復したと思っていたのに急に食欲が減りだしました。

 

腹水がたまるようになり、利尿剤も処方され、しょっちゅうトイレに行くようになりました。

 

病院でまたベッドから落ちて、頭を何針も縫って、足元がおぼつかない状態でしたが、病院の壁にある手すりを伝って、トイレにはいつも自分で行っていました。

 

北海道で一人暮らしをしていた父を見舞って妹や弟が関東から駆けつけていましたが、彼らが北海道を去るときに、入れ違いで私が住んでいるオーストラリアから父のもとへ来ました。

 

父の主治医が、「今は退院できる状態」であると言われているとの情報を得て、家に受け入れる家族がいれば退院できると思ったのです。

 

折角父を退院させようと張り切って日本に来たものの、病院はインフルエンザの影響で面会禁止となっていて、1週間は父と会えませんでした。

 

父はインフルエンザにかかっているわけではなかったので、何度も病院側と交渉して、やっと父を家に連れて帰ることができることになりました。

 

父は病院で私と面会し、退院することを聞くと、最初は「ダメだよ」と言いましたが、次に「やってみるか?」と言い、「そうだな、家に帰ればやりたいこともいっぱい出てくるだろうからな」と言いました。「家に帰った方が元気になるな」とうれしそうに言ってくれました。

 

 私もそう思っていました。看護士さんから、筋力がないから退院はまだできないと言われたので、筋力の問題なら、家での方がリハビリにはいいのでは、と思ったのです。

 

それは私の妄想に過ぎなかったのだと気が付いたのは、それからずっと後のことでした。

 

 私は、父がトイレに行きやすいように、ソファーの背もたれを支えて行けるよう、ベッドからトイレまでの動線を確保しました。

 

父は、私が通販で購入した四点づえが届くまでの二日間は、杖なしでトイレまでも、ベッドからテーブルまでも移動できました。

 

父が欲しいと言った、おかゆと梅干を用意したり、近くの店まで炭酸ジュースを買いにいったりもしました。

 

四点づえが到着すると、「これ、具合いいな」と言って使いながらトイレに行ったり立ち上がったりするようになりました。

 

食べ物は少しだけしか食べてくれませんでしたが、だんだん食べる量も減っていきました。歩いたり、立ち上がるのも、私の援助が必要になってきて、本人も「ちっともよくならんなあ」と言いました。

 

トイレに行く頻度は夜も1時間から2時間に1回になり、夜は全然眠れていない状況になりました。結局家にいれたのは5日間だけで、再度入院することになったのです。

 

最後の日は、朝の3時半にかろうじて私も支えてトイレに行けましたが、朝の6時には、必死の思いで立ち上がらせても、歩くことはできなくなっていたのです。

 

おむつにしてくれといくら頼んでも、何としてでもトイレに行こうとする父は、その朝、食事もいっさい受け付けてくれませんでした。

 

急激に悪くなったのです。病院に連れていって、私は涙腺が壊れたかのように泣き続けました。

 

それから12日後の今日、父は息を引きとりました。父は今まで、一度も痛みや苦痛を訴えたことがありませんでしたので、それだけが救いでした。

 

ところが、昨日だけは違いました。激痛に耐え、本当に苦しそうな声を出し続け、見ていて涙が止まりませんでした。初めてモルヒネも使いました。

 

妹と弟も来ていたのですが、父がやっと寝たので家へ帰りました。夜2時20 分に病院から電話があり、外へ出ると、なんと、マイナス29℃と、この冬一番の寒さですごい寒かったです。

 

午前3時過ぎ、病室に行くと、父は酸素吸入をしていて、目を開いたまま、まばたきもしない状態でした。血圧が計れないほど低くなっているということでした。

 

父はあごを動かしながら一生懸命呼吸していました。手を握っていると、時々少し手が動いていました。呼吸の仕方がだんだん弱くなり、午前5時に父は息をしなくなりました。

 

主治医が来てくださり、父の死を確認してくれました。死亡時刻は5時12分に。 

 

肝臓がんと肝硬変と闘った父の死と向き合って

退院していた少しの期間に父は2度、「サンキュー。どうもありがとう」と言ってくれました。退院していた期間にどんどん悪くなっていったから、退院させたせいで悪くなったのではないかと、自責の念にかられましたが、今は、父の言ってくれた言葉に支えられて、退院させて良かったのだと思うことにしています。

 

今、隣の部屋に父がいます。野鳥がたくさん、餌を食べに来ていました。父が帰ってきたのを知っているかのように。

 

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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パンタナール・ブラジルの湿原地帯の面白い話

こんにちは。カルメンです!今回は、カルメンの父・明のノートから、ブラジルのパンタナールの面白い話を抜き出して記載してみようと思います。パンタナールって湿原地帯ですね。動物など自然の宝庫です。ピラニアの話なども。 


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パンタナール・ブラジルの湿原地帯の面白い話

パンタナールは日本の陸地面積の3分の1の大きさの湿原地帯です。当然、道はない。所々に島があり、人間が少しだが住んでいます。その交通手段は今はフロート付き飛行機で、トケトケと言います。

 

 そこは、動物と植物の宝庫です。しかし蚊の存在はすさまじいばかりで、物を言うのに口を開いて話すと、口中蚊でいっぱいになります。

 

 家は網戸が完備していますが、その家全体をとり小屋用の網のかごで包み、二重にすることでやっと住めます。

 

サバンナに住む動物は例外なく、毛を密生させることで進化してきています。人間が森を出てサバンナに進出したという人類進化学の説明は、パンタナールに行くとあやしいと思えてくる程、蚊の存在は大きい。

 

もっとも朝早いと蚊はいないので、その間に川で釣りをすると、ピラニアがいくらでも取れる。あの恐ろしいことで有名な肉食魚も食べてみると、特に天ぷらにすると、実に味がたんぱくでおいしいものです。

 

 ワニ(カイマンという)はいっぱいいて、そのワニの密猟者が大勢いて世界中にワニ皮を売っています。

 

 ブラジルは大河が多くあり、電力はすべて水力発電で十分であり、世界の大国で、唯一原子力発電所がありません。

 

 大河でもアマゾン川は幅も大きいが、深さがすごく、雨季と乾季で水位が10~20mも変わります。その水が優れて良い水である証拠に、川辺に生えている木々は、雨季には完全に水没して、半年経って出て来るときには、青々と繁っていて枯れないことでもわかります。

 

 雨季にはパンタナールは更に水が大きくなって、ほとんど湖の様になり、所々わずかに島があるような姿となります。

 

パンタナール・ブラジルの湿原地帯の面白い話・まとめ

カルメンの父・明はブラジルに5年位住んでいました。私も旅行で2回程ブラジルに行ったことがあり、そのとき、ツアーでパンタナールにも行きました。

 

カピバラという動物がいました。↓こんな動物ですね。

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パンタナールの景色はこんな感じでした↓

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ラニアはこんなお魚ですね↓。手の平サイズです。

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機会があったら行ってみてください。日本にないもの、目白押しです! 


 

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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ブラジルの工業力・国土が広すぎて航空機じゃないと…

こんにちは、カルメンです!今回は、ブラジルの工業力について、カルメンの父・明のノートから書き写してみます。国土が広すぎて航空機じゃないとどうしようもないようなブラジルの一面です。


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ブラジルの工業力・国土が広すぎて航空機じゃないと…

ブラジルの工業は、その精度が一流であることに特徴がある。まず国内は国土の広さから、航空機の便が網の目のように張り巡らされていて、その国内使用の旅客機がすべてブラジル製であり、事故はない。

 

その航空機の利用法はバスと同じで、バスに乗るときに自動切符売り場で切符を購入して乗るのと同じく、自動切符売り機から切符を買って、入ってきた航空機にバスと同じように乗り、時間が来ると飛行機は出ていく。

 

切符はカウンターでチェックして購入するのではなく、バスと同じ方式で乗り、席は空いているところに座る。まるでバス並みで、次々に航空機の発着がある。

 

イタイプーの水力発電の超大型タービンもブラジル製である。タービン羽根は作るのが難しく、それが大型化するとさらにタービン羽根のカーブの精度が必要となるが、全部自前である。

 

販売している工作機械の精度は見るからにすばらしい。今やいろいろの国に戦車も販売している。

 

自動車はアルコールで走っている。最近油田が見つかったが、石油がないのでアルコールを砂糖キビから作り、車はすべてアルコールを燃料とするので空気のコンタミネーションがない。

 

ブラジルの空港を出た途端、空気の臭いの違いに気付く人も多いと思う。ただ、アルコールはガソリンよりも燃焼温度が高いために車のエンジンの耐久性は少し短くなる問題はある。

 

冬はアルコールだと点火しにくくなり、一部ガソリンを使用するようにしてある。

 

 ブラジルの工業力・国土が広すぎて航空機じゃないと…まとめ

私もブラジルに行ったとき、空港の外に出た途端、空気の臭いが違うことに驚いたのを覚えています。ブラジルって日本からめっちゃ遠いし、私が以前住んでいたメキシコからもすっごく遠かったです。メキシコは北半球ですしね。ブラジルは南半球。遠い国のお話でした。

 

カルメンの父・明がブラジルに住んでいたのは実はもう、20年以上前のことなのです。だから、情報が今と違うことがあるかもしれません。でも、案外、いまだに変わってなかったりするかもしれませんね。

 

私も昔、リオ・デ・ジャネイロからアマゾンのマナウスまで、各駅停車みたいな航空機に乗らされたことがあって、10駅位停まって目的地に着いたことがあります。いまだにあの各駅停車航空便もあるんじゃないかな~なんて、想像いたします。

 

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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