こんにちは。カルメンです!今回は三木弘の絵画展についてのご案内です。横須賀美術館で2018年12月から4か月間開催されました。三木弘の生涯についてもご紹介いたします。
三木弘の絵画展・横須賀で2018年12月から4か月間開催
上の画像が三木弘の絵画です。すごく好きです。生き生きとしていて、元気をもらえる気がします。三木弘の絵には、鶏が多いです。ちなみに私は、生きている鶏は、実を言うと、あまり好きではないのです。だけど、三木弘の鶏の絵は大好きなんです。なんでですかねー。不思議です。
上に掲載しているのは、横須賀美術館のパンフレットの内容です。
場所:横須賀美術館
〒239-0813 神奈川県横須賀市鴨居4丁目
会期:
2018年12月22日(土)~2019年4月14日(日)
休館日 1月16日(月)、2月13日(月)、3月2日(月)、4月1日(月)
10時AM~18時PM
観覧料:
一般300円、高大生・65歳以上200円、中学生以下無料
横須賀美術館への行き方は以下のリンクをご参照ください。
三木弘の絵はこちらでご紹介しています↓
三木弘の生涯
この鶏を描いた画家はどんな人なのかな?と思った方のために、三木弘の生涯について下に記しておきます。
1900年5月8日 和歌山県岩出に生まれる。父は熊之助、母はかつえ。実家は金時屋という宿屋(参勤交代の一の陣で本陣)を営んでいた。
1906年 韓国に移る。(伊藤博文と親交のあった熊之助は慰留民団議員として活動。栄町に総合病院を建て経営。家は明水台に桃の山を買い、その一部に建設し、桃仙閣と命名)
1918年 洋画同志会に出展。京城日報で賞讃される。
1920年 来青閣(京城日報の二階)で初個展。東上する。太平洋画研究所に学ぶ(師は中村不折、岡精一)。
1922年 本郷洋画研究所に学ぶ(師は岡田三郎助)。中央美術展入選。
1923年 樺太新聞社で個展。関東大震災が起こり、韓国・京城に戻る。
1924年 「日鮮洋画会」を結成(三木弘、高木背水、野宇健、高木章、小川七五三二)。第一回展。
1926年 「馬頭路洋画会」第一回展(三木弘、村上美里)。フランスに留学し、アカデミー・ランソンに学ぶ(師はビッシェール・ロッシュ)。
1927年 京城に戻る。(来青閣にて、三木弘渡欧後援音楽界あり)
1928年 明治町に移る。個展(美術倶楽部)。滞欧作品頒布画会を組織する。三木弘滞欧作品展(丁子屋)。
1929年 個展(丁子屋)。
1930年 「京城洋画研究所」を開く。
1931年 個展(丁子屋)。三木弘主催「帝展京都陶芸家美術陶器展」(丁子屋)。
1932年 個展(平壌にて)。三木弘他15名の画家から山田新一氏への抗議文が「朝鮮日々」に抗議決議記事として掲載。明水台に移る(168坪、ドイツ風のヒュッテを取り入れた家)。
1933年 第12回朝鮮美術展覧会にて昌徳宮賜賞。
1934年 洋画展(三越)。
1935年 第14回朝鮮美術展覧会において推薦作家となる。個展(釜日会館)釜山。
1936年 個展(総督府図書館ホール)。八景八勝画展(三越)三木弘、村上美里、山田新一、加藤松林人、宇野、逸雲、松田正雄、遠田運雄、堅山坦。
1937年 三木弘染色美術個展(鐘紡サービスステーション)。型成美術協会結成(三木弘、戸張幸雄、加納辰夫、猪川克己、村上美里、佐藤九二)創立展(三越)。
1938年 第17回朝鮮美術展覧会において参与となる。個展(三中井)。
1939年 第18回朝鮮美術展覧会(参与)。
1940年 第19回朝鮮美術展覧会(参与)。
1941年 第20回朝鮮美術展覧会(参与)。京城美術家協会(のちの朝鮮美術家協会)を結成(三木弘、山田新一、日吉守、堅山坦、江口敬四郎、遠田運雄、戸張幸雄、五十嵐三次、濱口良光、大橋寛、浅川伯教)。
1942年 第21回朝鮮美術展覧会(参与)。第1回半島銃後美術展。朝鮮南画連盟結成会員展(丁子屋)三木弘、堅山坦が参加。
1943年 第22回朝鮮美術展覧会(参与)。
1944年 第23回朝鮮美術展覧会(参与)。決戦美術展(審査員)。
1945年 終戦。引き揚げ後、京都に住む。
1946年 都新聞社に美術記者の職を得、制作を再開する。
1947年 自由美術家協会の会員として、制作活動する。
1954年 都新聞社を退職。「汎美術」を発刊する。第1号は2月10日に発行。
1961年 自由美術家協会を退会。無所属となる。
1967年 3月、東京の銀座資生堂にて個展。6月、自宅より出火、作品を消失するも、山口家で再制作。ロック・フェラー財団招待による、アメリカでの個展を行う。11月病に伏す。
1974年 「思い出の朝鮮半島からー民族とは何かー」を誌す。
1982年 死去。
2015年 「日韓近代美術家のまなざし」に作品展示。
まとめ
三木弘のお弟子さんである、画家の原みる様より、三木弘の作品が日本の美術界において忘れ去られないよう、インターネットによって世に広めるようお願いされました。私には、三木弘の作品を世に広められるだけの力がありませんが、もし、ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ブックマークなど、拡散にお力添えいただけますととてもうれしく思います。
ありがとうございます(^^)