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ブリスベンの未解決殺人事件「誰がベティ・シャンクスを殺したか?」


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こんにちは。カルメンです!今回は、ブリスベンの未解決殺人事件「誰がベティ・シャンクスを殺したか?」というノンフィクションの本を読み終えたので、感想を書いてみようと思います。まだ心がわなわなと震える感じがします。

 


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ブリスベンの未解決殺人事件「誰がベティ・シャンクスを殺したか?」

「誰がベティ・シャンクスを殺したか?」(Who Killed Betty Shanks?)というノンフィクションの本を読みました。著者はKen Blanch。ブリスベンの未解決殺人事件について書かれたノンフィクションの本です。

 

ベティ・シャンクス殺人事件の概要

殺人事件は1952年9月19日の夜9時35分から9時50分の間に、ブリスベンの閑静な住宅地、ウイルストン地区で起きました。66年前の事件です。

 

殺されたのはベティ・シャンクス。22歳の美しい女性です。何の汚点もない人でした。

 

当日、ベティ・シャンクスはブリスベン市内のオフィスに仕事に行きます。お昼休みには母親と待ち合わせて買い物をします。仕事が終わったあと、更なる勉強のため、夜のレクチャーを受けに行きます(彼女はすでに大学の心理学部を卒業していました)。

 

帰りは教授の車に他の2人の男子生徒とともに乗せてもらい、路面電車の駅で降ろしてもらいました。そこで路面電車に乗って終点に着いたのが午後9時32分。そこからトーマス通りを真っ直ぐくだっていけば、つきあたりにベティ・シャンクスが親と弟と住む家があります。

 

電車を降りて、そのままトーマス通りの右側の歩道を歩いて行くと、右側の3つの道を通りすぎてベティ・シャンクスの家まで行くことになります。最初の道を過ぎたところの歩道と車道の間に3本のこんもりした木がありました。

 

そこでベティ・シャンクスは襲われました。顔を蹴られるかなにかで、あごが割れ、奥歯が飛んで出ました。額には靴で蹴られたような跡がはっきりと残っていました。首も絞められて窒息しました。歩道は5m先まで血痕が飛び散っていました。

 

死体は、翌朝5時過ぎにそこの角の家の庭でみつかりました。低いフェンスの向こう側に放り込まれていたのです。尿でびっしょり濡れたパンティが脱がされて側にあり、スカートもペティコートも上に捲し上げられ、下半身がむき出しの状態で両足が広げられていました。

 

顔と胸元は血だらけで、胸元も乱れていました。ハンドバッグとバッグの中身もお札入れ以外、散乱していました。

 

とはいうものの、その後の調べで、ベティ・シャンクスは犯されていないことがわかりました。

 

この事件の後、車の売り上げがすごく増えたそうです。犯人がずっと捕まらず、ブリスベンの街は恐怖に包まれ、玄関には鍵をかけるようになり、窓も閉めるようになったそうです。しかしながら、同じ事件は二度と繰り返されませんでした。

 

「誰がベティ・シャンクスを殺したか?」感想

このケース、まだオープンになっています。読み終わると、犯人は誰だろうと考えるのを止めることができません。怪しい人物が複数いるのです。

 

事件のあった家の隣の隣に住んでいた、もとクリケット・プレーヤー、当時38歳の独身男性ですが、悲鳴を聞いた時間が他の住人とずれていて怪しい気がします。ラジオの番組が終わった後だったと言っているので、時間を間違える筈がないのですが。

 

ベティ・シャンクスの額の靴の跡がクリケットの靴のものではないかと言われています。既に2002年に88歳で死亡しています。

 

その当時ではかなわなかった技術、DNA鑑定が行われ、犯人のものが検出されたのですが、いまだに犯人は特定されていません。

 

ベティ・シャンクスの事件より先だって、ゴールドコーストであった、婦女暴行未遂事件を起こした兵士が、70代になっていて老人ホームにいました。取り調べがされる矢先に新聞が報道してしまい、そしてこの老人は消息を絶ちました。じゃあ、この人かな、とも思ってしまいます。

 

ベティ・シャンクスはボーイフレンドがいなかったし、男性と付き合ったこともありませんでした。しかしながら、殺された日の2日前にレクチャーを受けていた学校の方に2度、男性から電話がありました。

 

そして、当日、男がトーマス通りの路面電車の駅あたりで、9時半までの長い時間、人を待っているかのようにぶらついているのを目撃した人が二人います。

 

2日後に自殺した既婚の医者がいて、これがベティ・シャンクスに電話した男で犯人ではないかという話があったり(彼には経済的な問題があったので、私は違うと思います)。

 

路面電車の駅近くの医院の受付嬢が、ベティ・シャンクスと顔や背格好がとても似ていたそうで、やはり、同じ時間帯にトーマス通りをくだって家に帰っていました。彼女は医院の鍵を持っていたはずなので、医院の中の麻薬を狙って、受付嬢を襲うつもりが、間違えたんじゃないかとか。これはありえるかな、と。

 

あと、もう一つ特筆すべきは、ベティ・シャンクスは、1952年の4月28日、つまり殺される4か月少し前に宝くじの1等が当たっており、今の金額に直すと約25万豪ドル手にしたことが新聞に名前付きで掲載されています。

 

両親には家のローンなど借金もあったので、それの返済や、当時11歳だった弟の教育のための貯金、それに家の修繕に当てられたようです。それでほとんどなくなるくらいだったと思うのですが。サファイアの指輪は卒業祝いとして買ってもらったようです。

 

なんか、未解決の事件で、ご両親も亡くなられてしまっているけど、読み終わって本当に悲しいです。犯人、みつかってほしいです。

 

ブリスベンの未解決殺人事件・まとめ

こういう怖い本は普通、読まないのですが、旦那さんが図書館から借りてきていたのを、1~2ページ読んだら、止まらなくなってしまいました。

 

それで、オーストラリアでは、16歳から車の免許が取れるのかな、と思ってしまいました。

 

66年前の話ですが、許せないです。かわいそう。なんてひどいことを。それで、犯人はまだ生きているのかもしれないと思うと憤りを感じます。

 

私が読んだ本は2012年に出版されたものです。