こんにちは、カルメンです!今回はカルメンの父・明のノートから「力行会(りっこうかい)の話」を抜き出して書いてみようと思います。なぜ、日本人はブラジルにたくさん移民として渡ったのか?という話ですね。

力行会の話・なぜ日本人はブラジルに移民として渡ったか?
力行会(りっこうかい)の話はカルメンの父・明が、亡くなる3年程前に、住んでいた道東の美留和(びるわ)などの住人の方々に向けて国際交流会の場でブラジルのことを話した中の一つです。父はブラジルに住んでいたことがあります。
力行会の話(カルメンの父・明のノートから)
日本が第二次世界大戦に敗れたために、満州と朝鮮から大量の人たちが日本に帰らざるを得なくなりました。
本国自身が戦争に敗れ、大量な爆撃による破壊が国中にあり疲弊しているところに、もっと何もかも失った人々が大挙して引き揚げてきたのですから大変なことになりました。
行き場として北海道に大量移民を入れるしか場所がなく、知床半島にも入植しました。この美留和にも多くの人が入っていて、その後立ち退いた廃屋があちこちに残っているのを知っていることと思います。家の造りは壁が板一枚の造りです。
その時、力行会(キリスト教系)が新聞に「来たれブラジルへ」という広告を出していました。知っている人もおられると思います。
集合場所は神戸で、そこから移民船が出ていました。その船の三等客として船蔵みたいな部屋に大人数積み込まれて、シンガポール・喜望峰経由で何か月かかかってブラジルに着きました。
私はサントスの受け入れ建物に行ってみたことがあります。そこから皆割り当てられたコーヒー園に行ったのです。
そのうちの一人に所さんという偉大な人がいまして、プラスチック加工の会社を作った人で、その大きさは、積水化学のプラスチック加工部門よりも大きい大会社です。
だから、移民のためにこの力行会があったということを知らない人々が大多数だと知って、実は私はびっくりしました。
私はその時、この力行会に入ってブラジルに行くつもりでした。止める人が多くいたために辞めて大学に入ったのですが、実に印象深い事実です。
その時、力行会に入ってブラジルに行った人たちのうちで、所さんのように成功した人は少なく、その行った人たちの子どもが今、日本に働きに来ています。
力行会の話・なぜ日本人はブラジルに移民として渡ったか?まとめ
力行会というのは、苦学生たちなどを助けていた団体で、一応キリスト教系だったようですが、キリスト教からすると、「ちょっと違う」と見られていたようです。
よっぽど苦しくなければ、そんな遠い国で、どんな環境なのかもわからないようなところに、普通は移民として行こうとは思いませんよね。
でも、日本での状況は、当時、厳しいものだったのでしょうね。
父がブラジル移民としてブラジルへ渡っていたら、母に会うことはなく、私もこの世に存在していなかったのではないかと思います。そして娘たちも存在していなかった…
人の運命というのは不思議な気がします。
