こんにちは、カルメンです!今回は「聖書とはどのような書物か」というということについて書いてみます。毎日聖書を読んで、もう一年以上です。新約聖書をまず読んで、それから旧約の方を読んでいて読破間近という状況です。実は私はキリスト教徒ではありません。
聖書とはどのような書物か
私はオーストラリアに住んでいますが、ある時、オーストラリア人のお友達に聖書をいただきました。
それは、日本聖書協会の聖書で 本体4,500円+税、となっていて、すっごくびっくりしました。和文(新共同訳)と英文(Today's English Version)、両方載っていて、旧約聖書 1801ページ+新約聖書 616ページの分厚い本です。
今思えば、私をバイブルスタディ(聖書学習)のグループに誘いたかったんだと思います。私の方が忙しくて、そのお友達とは会わなくなってしまったのですが、聖書は何度か読んでみようと試みてはいました。
ただ、最初が旧約聖書でそのあと、新約聖書になっているので、順番に読もうと思って旧約の方から読むと、途中で怖くなって読むのをやめて、再度挑戦したときも、やっぱり怖くてやめて、それからずっと何年もほったらかしにしていました。
怖いというのは、例えば神様(イスラエルの)が安息日には仕事をしてはいけない、と言っているのに、休みの日にたきぎを拾っていた人がいて、それだけのことでみんなで寄ってたかって石を投げてその人を殺したりとか、結構神様が怒りっぽいから。
それで、長年ほってあったのですが、聖書以外のキリスト教関係の本を何冊か読んだあと、もう一度挑戦。今度はまず、新約聖書から読み始めました。こちらは怖くなくて読めて、その勢いで、また、旧約を読み始めて、あと残すところ 100ページのみ!
それにしても、すごい本だと思います。千何百年かの長い期間のことが書いてあるのです。歴史書として読んでもすごい価値があります。バビロン王国のことなど、他に書いてある資料はないのではないでしょうか?
イスラエルやエジプトやシリアなど、今ある国の名前も出てきますが、遠い歴史のかなたに消えてなくなってしまったたくさんの国や民族のことが出てきます。神様が怒って消されてしまった国々や人々...
紀元前の人たちが何を食べていたのかや、どんなものを身にまとっていたのか、建物や家具などどんなものを使っていたのかや、どこから手に入れていたのか、神殿の造りや大きさなどの描写もあります。
嘆きの声なども切々と伝わってきて、何をどう感じていたのか、というのも知れたりします。人間って何百年たっても同じなんだな、技術が発達していくだけで、やっていることは同じだな、と思えたりもします。人間ってなんてバカなんだろうとか。
聖書が旧約と新約の二層構造になっているのはキリスト教だからです。ユダヤ教は新約の方はないです。新約の方はイエス・キリストの話だからです。でもキリスト教では旧約の方に出てくるイスラエルやユダヤの神様も神様です。
新約の方は、イエス様が、神様の子供で、イエス様自身が死んだあと、神様になったことなどが書かれています。
聖書を書いている人は本当にたくさんいます。何世紀にもわたっての本なので、当然ですよね。神様に書き記しておくよう言われて書いてある部分もたくさんあります。
「主は言われる」として、神様が実際に言われたとすることがたくさん書かれているので臨場感があります。神様が荒れ野でイスラエルの民を見出してから、大切に保護して導いてきたのに、神様のことを忘れて、バアルという偶像の神を拝むようになったことに対する神様の怒り。
何度忠告しても言うことを聞かなかった王や民に対して罰してみたり、許してみたり、まるで親子関係のようにも思えます。親が子供にいくら言っても聞かなくて、ついに勘当してみたり。でもやっぱり心配で、助け船を出してみたりなど。
聖書は幾世代にも渡るお話です。それで、人間は何回言われても繰り返し、神様との約束を守らないで悪いことをしてしまう。神様が怒ると共感さえしてしまいます。
聖書はちょっとだけ読んだくらいでは、良さがわからないと思います。でも、ずっと読み続けていくと、人間の愚かさが身に染みてよくわかって、自分は同じ悪いことを繰り返したりはしない、と思えるようになるかもしれません。
それと、私は長くメキシコに住んでいたのですが、その昔、スペイン人がメキシコの古代文明をめちゃくちゃに壊して、大神殿の上に教会を建てたりしていたのが理解できませんでした。どうしてそんな乱暴なことをするのだろう、と。
でも、聖書を読んで、どうしてそんなことをしたのかを理解できるようになりました。
また、世界で、ユダヤ人が迫害を受けたりしていたのがどうしてなのかどうしてもわかりませんでした。でも、聖書を読んでから、キリスト教とユダヤ教との宗教的な違いが少し理解できるようになってきました。
日本人にとってなかなか理解ができないことも、聖書を読んでみると、「あー、こういうことだったのか」と腑に落ちることがあります。
だから、聖書は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の人たちの行動を理解する上でも、ヒントを与えてくれるような書物だと思います。
一つ、余計なことを書かせてください。ホセア書9 の「ペオルとギルガルにおける罪」の部分の英文で以下のような文があります。
「But when they came to Mount Peor, they began to worship Baal and soon became as disgusting as the gods they loved.」
イスラエルの神様が、イスラエルの民について語っています。訳すと以下のようになります。
「しかし彼らがペオール(Peor)山に来ると、彼らはバアル神(Baal)を崇拝するようになり、すぐにバアル神同様、不快極まる者らに成り下がった。」
「Peor」はスペイン語で「より悪い」という意味で「lo peor」というと、「最悪」という意味なのですが、この Peor 山が語源でしょうか?
また、スペイン語で「Mal」というのは「悪い」という意味ですが、「Baal」から来ていると考えるのは考えすぎでしょうか?
ということで、上記の文は、イスラエルの神様の言葉です。神様の怒りが伝わってきます。聖書はこのように、神様から吐き出されるたくさんの言葉を目の当たりにすることができます。
聖書とはどのような書物か・まとめ
聖書を読み始めて、今、読破間近です。
キリスト教では、イスラエルやユダの神様が、自分の子供、イエスキリストを人々の今まで犯してきた罪の償いのため、犠牲となって死なせることで、人々を許し、そして、イエスキリストを通じて、イスラエルやユダヤ民族のみならず、信じる人すべての神様となったということになっています。
聖書とはどのような書物か、ですが、読んでいると、大切なことというのは何なのか、今思っていることは本当に大切なことではないのではないだろうか、と軌道修正ができる書物だと思います。
下の記事は、キリスト教精神に触れることができるお話です。良かったら最後まで読んでみてください。