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メキシコの大学に入った時の状況(外国の大学に入るとどうなるか?)


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こんにちは。カルメンです!今回は、私が日本の高校を卒業してからメキシコの大学に入った時の状況を書いてみようと思います。外国の大学に入るとどうなるか?ということですね。これから海外の大学に入ろうとしている人は、心して読んでください。 

 


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メキシコの大学に入ったときの状況

私は、メキシコの大学に入って卒業しました。母国語でない外国の大学に入るとどうなるでしょうか?私が身を持って体験しました。

 

なぜメキシコの大学に入ろうとしたか

なぜメキシコの大学に入ったかというと、家族がメキシコに住んでいたからです。高校時代は親戚の家にご厄介になっていたのです。その頃は、今よりもずっと航空運賃が高かったですから、中学の2学期から高校卒業までの3年半の間、家族と会えたのは一度だけ、私の家族が日本に一時帰国した時だけでした。

 

コンピューターなんてありませんでしたから、eメールもフェイスブックもなかったですし、電話も高くてしませんでした。メキシコにいた家族とのコミュニケーションは、手紙だけ。そんな感じだったから、「卒業後はメキシコに行く」と決めたのは、そんなにおかしな決断でもなかったのだと思います。

 

メキシコの大学に入学

メキシコはスペイン語です。スペイン語は多少勉強はしていました。理系だったら、スペイン語でもなんとかなるだろうと楽観していました。数字や数学の記号、化学式とかは共通ですからね。しかも、受験して、入れたんですよね。なんでか知りませんが。テストで唯一できたのは数学で、あとの歴史とか他の科目は全然わからなかったのですが。

 

入ったのは工学部系です。公立です。公立で、ものすごい安い学費でした。私は外国人だったので、倍位払っていたと思いますが、それでも後々、私はアルバイトをして、全額自分で払うようになった位です。その程度の支払いだったのですね。

 

初めて入った物理のクラス

メキシコは貧富の差が激しい国です。日本とは全然違います。貧しい人たちの中からも、大学まで上がってきている人たちが沢山いたわけです。そんなところに、ポッと、日本人の女の子が入った。

 

初めて入った物理のクラスのことは忘れません。日本の一般的な中学校や高校の教室位の大きさだったと思いますが、前に一つしか扉がなかった。廊下側に窓はなく、窓側の窓も高いところに小さくあるだけでした。

 

場所がわからなくて遅れて入ったのですね。右側にちいさな机が付いた椅子が教室中にぎっしりあって、そこに6~70人位いたわけです。男が。

 

肌の浅黒い、ぎょろぎょろ目の男たちが一斉に私を見たのです。日本のトレーナーを着た女、日本のスキニーデニムを履いた女、日本のパンプスを履いた女、日本のゴムでポニーテールにしている日本人の女を。当たり前のようでいて、当たり前の出で立ちではなかった。

 

怖かったです。女は私一人でしたし。教室の中を後まで行かなければならなかった。

 

メキシコで何があったか

でも。メキシコ人はいつも、私に対して敬意を持って接してくれました。私の偏見でしかなかったです。最初から最後まで、大学で日本人は私一人でしたけど、いやな思いをすることは一度もなかったです。

 

ただ、カルチャーショックを受けなかったかと言えば、そんなことはなかったし、何と言っても言葉の壁、というかスペイン語の大壁。どんなに苦しんだことか。それに、家族と一緒に住んでいたから、ホームシックにならなかったかと言えば、なりました。「日本に帰りたい」という病気。

 

毎日、日本の方を向いて泣いていました。というか、後から考えると、部屋の窓の外を見て、はるかかなたに日本があると想定して泣いていたのですが、南向きの部屋だったので、実際にはグァテマラの方を向いて泣いてたんですね。でもその時はとにかく、ただひたすら、窓の外の遠いかなたに日本があると思って泣いていました。

 

それからしばらくして、お腹の右半分にヘルペスが…1か月以上寝込みました。パジャマがヘルペスの部分に触れるだけで激痛だったので、動くこともできませんでした。お医者さんにはストレスだと言われました。

 

メキシコの何もかもが嫌いになりました。メキシコ人の何もかもが嫌いになった。そんな時期がありました。辛かったです。

 

でも、メキシコの大学に行こうと思ったのは自分だったから、誰に強制されたわけでもなく、自分だったから、自分で決めたことは貫かなければいけないと自分に言い聞かせたのですね。

 

そんな間、メキシコ人は、私を見守っていてくれました。私は般若のような顔をしていたと思います。それなのに、彼らは待っていてくれました。私が時間をかけてメキシコを受け入れられるようになるまで。

 

私の旦那さんと出会ったのも、この大学ででした。知り合ってから付き合うようになるまで、2年半も経過しています。(国際結婚について考えていることの記事は 国際結婚ハーグ条約を見てみてください)

 

メキシコの大学に入って一番の難関はこの、「日本に帰りたい」病にかかったことですかね。遠い昔のことですが、辛かったですね。

 

まとめ

過ぎてしまえば、すべていい経験になっていて良かったのですが、メキシコの大学に入った当時は本当に大変でした。今、外国の大学に入って辛い思いをしている人は、なんとかうまく乗り越えられることを願っています。乗り越えられれば素晴らしい財産になりますから。

 

でも、頑張りすぎないで。病気になるまで頑張らなくていいです。できないことがあったら、それはそれでまた、経験なのですから。