カルメンの国際結婚雑記ブログ

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メキシコのグアナフアトでミイラをいっぱい見た話

こんにちは。カルメンです!今回は、メキシコのグアナフアトという美しいところで、ミイラをいっぱい見た話です。怖かったですね~。

 

 


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メキシコのグアナフアトという都市でミイラをいっぱい見た話

メキシコのグアナフアトという都市

グアナフアトメキシコシティーから北西に5時間程バスで行ったところに位置する、歴史的な美しい街です。グアナフアト州の州都ですね。16世紀末から銀山がみつかったことにより発展した植民地時代の影を色濃く残した観光地です。

 

見どころも多いですが、今回は、ミイラ博物館のことを・・・

 

ミイラが100体以上

すごい量のミイラでした。すみません、怖くて画像は載せませんけど、見たい方は、「Momias de Guanajuato」で検索してください。昔行ったのですけれど、怖かったですねー。

 

ミイラがいっぱい立てられてずらっと並んでいるんです。ガラスのケースには入っているのですけれど、倒れ掛かってきたら、その場で気絶しそうです。

 

エジプトの方では、難しい技術を施して、ミイラを意図的に作っていたわけですよね。お疲れ様でございます、という感じですね。こちらは何もしないで自然にミイラにになるのですから。

 

ミイラ自体が新しくて、19世紀の人たちがほとんどのようです。土地が非常に乾燥していて、屍から短期間で水分を吸収するようで、早ければ1年位でミイラになるそうです。

 

私が遠い昔に見た時の印象は、最後に2体あった巨大なミイラ。他のミイラたちと全然大きさが違うんです。ヨーロッパから来たお医者さんだったという風に記憶していますが、こんなにも体格が違うものかと、驚きましたね。

 

もともと、なんでミイラが発見されたかというと、ヨーロッパから来ていたお医者さんがなくなって埋葬されたわけです。でも身寄りが誰もいなかったので、お墓にお金を払う人がいなかった。それで、亡くなって5年後に他の人にそのお墓を貸し出すかなにかのために、掘り起こしたとのこと。

 

そうしたら、ほとんど完璧なミイラになっていたらしいんですね。それで、もったいないから、そのまま取っておいた。また、お金の支払いが止まっているお墓を掘り起こしたらまたミイラが出てきた。そうこうしているうちに、人が見に来るようになった。

 

それで、これはお金になるんじゃないかと、博物館にした、みたいな経緯らしいです。

 

まとめ

記事を書くためにネットでスペイン語の文献を少し調べました。ミイラ、見たくなかったんですけど、見ちゃいましたから、今日夢に出てこないか心配です。最近は、直接行かなくてもネットで見れるのってすごいですね。でも、怖がりの人は見ない方がいいと思います。

 

 

 


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なぜドイツ人の男の子がメキシコの大学の獣医学部を狙っていたのか?

こんにちは。カルメンです!今回は、なぜドイツ人の男の子がメキシコの大学の獣医学部を狙っていたのか?ということについてと、なぜ私もメキシコの大学に入ろうと思ったのか、などについて記していこうと思います。

 


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                       Universidad Nacional Autónoma de México

 

 

なぜドイツ人の男の子がメキシコの大学の獣医学部を狙っていたのか?

 

メキシコ自治大学外人コース

メキシコ・シティーにあるメキシコ自治大学、通称(UNAM)はメキシコで一番大きな公立大学です。そこに外人コースがあって、誰でも、スペイン語を勉強することができます。大学に入学する必要はありません。

 

もちろんそこには、メキシコを含む、スペイン語圏の人たちはいなくて、私が通っていた頃は、イギリス人、トルコ人、インド人、アメリカ人、ドイツ人、フランス人、ブラジル人、スイス人、日本人、など、いろいろな国からスペイン語の勉強に来ていました。日本人はほとんどいなかったですね。

 

私がなぜメキシコの大学に入ろうとしていたか

誰でもスペイン語が勉強できるところだったので、観光目的でメキシコに来ている人たちもスペイン語を学びに通っていました。そんな中で、メキシコの大学受験組が私を含めて3人いました。私の他に、アメリカ人の男性とドイツ人の男の子です。

 

アメリカ人の男性は30代くらいに見えました。ドイツ人の子は私と同じ、高校を卒業してから来ていたので、男性というより、「男の子」という感じでしたね。

 

アメリカ人の人は、私よりスペイン語のレベルが高いクラスに入っていたし、話をしたことがないので、一緒にスペイン語の検定試験を受けたというだけで、それ以上のことはわかりません。で、ドイツ人の男の子の話をする前に、なぜ私がメキシコの大学に入ろうとしていたのか、軽くお話しておきます。

 

私の家族がメキシコに移住していたのです。それで、私もメキシコに住んでいたのですが、その後、私一人で日本に帰国し、私は日本で高校を卒業しました。3年以上親元を離れて暮らしていたのですね。高校を卒業した後、二つの選択肢があったわけです。

 

日本の大学に行くか、メキシコの親元に帰って、メキシコの大学に行くか、です。それで私はバカだから、メキシコの大学に行く方を選んだわけです。なんでかって、3年以上、親元離れていましたから、家族の元に戻ってもいいんじゃないか、という思いもありました。

 

でもね。受験勉強したくない、という怠慢な気持ちもありました。「メキシコの大学に行きます」と言っておけば、受験勉強しなくても許されるだろう、みたいな。理工系なら、スペイン語でも、なんとかなるんじゃないか、なんて甘い考え。バカでしたねー。

 

メキシコの大学を出れば、その学部の勉強をマスターすると同時に、外国語大学も同時に出るのと同じで、一石二鳥だと思ったんですね。大バカでしたねー。尋常な苦労じゃありませんでした。

 

皆さん、二つの選択肢があったときは、困難な道を選んでください!楽な方を選ぶと、確実に後で余計苦労します!私が身を持って実証しています!!!

 

ということで、今日の本題は私のことではないので、いよいよ本題に移ります。

 

なぜドイツ人がメキシコの大学に?

そのドイツ人の男の子の名前はアクセルでした。車のアクセルみたいだな、と思ったのを覚えています。あれ?ブレーキだったかな?いえいえ、アクセルでした!

 

それで、なぜわざわざドイツからメキシコに来て受験しようとしているのかというと・・・獣医学部に入りたいんだそうです。でも、ドイツで獣医学部に入るには、成績が10段階で9以上なければ入れなかったんだそうです。

 

彼の成績は8.5 でドイツでは入れない。でも、メキシコでは、獣医学部には8.0以上で入れたのですね。だから、メキシコの大学で2年勉強した後、ドイツの大学に途中編入するんだと言ってました。

 

感心しました。自分で考えたのでしょうか?それとも親の差し金?日本ではそういうこと、思いつかないですよね。まあ、ナチスの残党とか、メキシコに入ったりしているということですし、メキシコにドイツからの移民が全然いないというわけではありません。

 

存外、メキシコに親戚などがいて、入れ知恵があったのかもしれません、とは、今、考え付いたことで、そのときは、ただただ、「へー、すごいなー」と思っただけでしたけど。

 

まとめ

なんだか、ドイツ人の男の子の話より、自分のことをたくさん書いてしまった気がします(恥を晒しましたね、、)。でも、世の中には、いろんな人がいますよね。そのドイツ人の男の子も、ちゃんと、ドイツの獣医学部編入できて、立派な動物のお医者さんになっていることを願います!

 

 

 


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リメンバー・ミーの映画の中のメキシコの死者の世界

こんにちは。カルメンです!今回は、リメンバー・ミーの映画の中のメキシコの死者の世界を見て思ったことを書いていこうと思います。

 

 
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                メキシコの死者の日を祝うお祭り

 

リメンバー・ミーの映画の中のメキシコの死者の世界

 

リメンバー・ミーの映画

リメンバー・ミーの映画、もう見られましたか?ディズニーピクサー映画です。もしまだだったら、是非見てください。とても面白いです。大人が見ても、じゅうぶん楽しめます。

 

メキシコの死者の世界観がよく表現されていると思います。この映画のテーマはあれですね。「人は二度死ぬ」というアレです。一度目は、物理的に息を引き取って死ぬとき、二度目は、この世でその人のことが思い出されることのなくなってしまうときですね。それが本当の「死」、最後の「死」となるわけです。

 

メキシコの死者の世界

メキシコの死者の世界は、この映画に見られるように、とてもユーモラスです。日本が抱く死者の世界観より、ずっと茶目っ気たっぷりなのですね。

 

メキシコでは、死者の日が近づくと、頭蓋骨の砂糖菓子なんかも、そこいら中で売り出されます。そのお砂糖でできた頭蓋骨の額の部分にあなたの名前を付けられて、プレゼントされたりするわけです。そんなのいらないですか?

 

でも、日本と似ているなぁ、と思えることも多々あります。日本でも、お盆には、祖先のお墓などにお供え物をする習慣がありますよね。その時期になると、お墓参りしたりします。お盆になると、祖先の霊が私たちのところに来てくれると信じられています。

 

メキシコもそうですね。死者の日には、ご先祖様たちが来てくれるから、テキーラとか、砂糖菓子とか、生前好きだった食べ物をお供えします。

 

リメンバー・ミーの映画の中にも出てきますが、死者の世界へ行くのに、橋を渡っていますよね。日本にも、「三途の川」というのがあります。ね。似てますよね。

 

リメンバー・ミーの中のメイン・キャラクター・ミゲル(Miguel)が、かつての有名な歌手・エルネスト(Ernesto)のお墓の中に忍び込んで、そこにあるギターを拝借しようとするシーンがあります。

 

あのお墓のタイプは、日本になじみがないと思います。建物になっていて、窓から侵入しているのですね。もちろん、これは、お金持ちのお墓です。普通の人のお墓は、当然、こんな建物になっていません。でも、お金持ちのお墓は、こんな風に、建物になってましたねー。

 

有名歌手エルネストの墓は、一部屋だけで、そこに棺がありました。でも、もっと金持ちになると、入った部屋には棺はなくて、地下に行く階段が付いていて、地下室に棺が置かれているのですね。もちろん、「~家の墓」のようになっていますから、地下室にはいくつもの棺が置かれているのです。怖いですかね。

 

もちろん、建物ですから、玄関があります。窓も付いていたりします。そういう、ちいさな家みたいな立派なお墓が、墓場の入り口に近い辺にはたくさんありました。お金持ちは限りなくお金持ちなメキシコです。

 

さて、だいぶ、死者の世界から話がそれて、現実の世界の話になってしまいましたが、メキシコの死者の世界観って、映画の中のように、現実世界と変わらない、笑える世界です。呑兵衛は、死者の世界でも呑兵衛だし、歌好きは、死者の世界でも歌好き。

 

そんなメキシコの死者の世界を垣間見れるので、よかったら「リメンバー・ミー」、見てみてください!

 

まとめ

リメンバー・ミーの映画を見て、メキシコの死者の日の頃のことをなつかしく思い出したのと同時に、ご先祖様は、大切にしなければいけないなぁ、としんみり、思いました。映画の最後の方で、ミゲルがひーおばあさんに、必死になってひーひーおじいさんのことを思い出させようとするところは、泣けます、まじ。

 

 

 


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お米とミルクのメキシコのデザート・ARROZ CON LECHE


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こんにちは。カルメンです!今回はお米とミルクのメキシコのデザート・ARROZ CON LECHE(アロス コン レチェ)のご紹介です。アロスの「ロ」は巻き舌です!

 

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残りごはん

残りごはん、どうしてますか?次の日にチャーハンにするとか?私は時々、メキシコのデザート、アロス コン レチェを作ります。ARROZ はお米という意味、CON は&の意味、LECHE はミルクのことです。メキシコはスペイン語圏なので、スペイン語です。

 

本当の作り方はお米から作るんです。残りごはんから作るのはカルメン式です(笑)。それに、本当の作り方は、コンデンスミルクを入れたり、シナモンスティックを入れたり、最後にクリームを入れたりしますが、私は、お米とミルクとお砂糖とシナモンパウダー、それにお好みでレーズンを入れるだけです。

 

作り方

  • まず、残りごはんをお鍋に入れて、水と一緒に煮て、お粥状にします。
  • ミルク、砂糖、レーズンをお好みで入れて少し煮たてます。
  • 最後にシナモンパウダー入れます。

出来上がりです。

残りごはんが一膳分しかないとき、あっという間に2人分のおやつができます。

 

ごはんにミルク?

ごはんにミルクって日本では抵抗を感じる方がいらっしゃるかもしれません。メキシコでは定番のデザートなのですけれど。

 

日本の定番のおやつといえば、昔から、あんこが入っているものですよね。お豆に砂糖を入れて煮たもの。これが、メキシコ人にとっては信じられないものなんですよね。

 

メキシコ人は毎日煮豆を食べます。玉ねぎやにんにくも入っている塩味のものですね。豆を砂糖と一緒に煮るなんて、青天の霹靂という感じなわけです。でも、あんこでもおしるこでも、おいしいのだから、偏見を捨てて食べてみればいいのにって思いませんか?

 

同じように、ごはん、ミルク、砂糖の組み合わせも、慣れれば悪くないです。もしまだ試したことがなければ、チャレンジしてみてください。私は、ちょっと甘めが好きかな。

 

まとめ

おかゆができたら、ミルク入れないで梅干しと一緒に食べちゃった方がいいのかもしれないけれど、おやつに甘いもの欲しいときありますよね。残りごはんとミルクがあったら、ちょっと、やってみませんか?メキシカンなおやつ。


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メキシコのとある村訪問時、トイレがなかった件


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こんにちは。カルメンです!今回は、メキシコでのとある村に訪問した時のことを書きたいと思います。もう、村の名前も憶えていないほど昔の話ですが、トイレがなくて困ったという、、、そんなお話です。

 

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父の同僚の奥さん

私が何故メキシコに10年以上暮らしていたかというと、父がメキシコの会社で働いていたからなんですね。メキシコに行って初めの頃、父の勤めていた会社に大学出たての、メキシコ人の同僚がいて、まだスペイン語に四苦八苦していた父をよくサポートしてくれていたそうです。

 

その彼が結婚をしました。メキシコは大半がメスティソと呼ばれる肌が小麦色か浅黒い、混血の人たちですが、彼の奥さんとなった女性は白人で青い目の小柄でぽっちゃりした、かわいらしい人でした。

 

あるとき、彼らは、私たち家族を、彼女の実家のある村へ、招待してくれると言ってくれました。私たちの住んでいるメキシコ・シティーからはかなり遠いので、泊りがけです。それで、私たちは2台の車で旅に出ることになりました。

 

陸の孤島

ずっと砂埃の舞う、赤土の土地を車で走っていきました。緑が全然ないところです。そんな、何もない砂漠のようなところに突然、小さな家々が固まって見えました。それが父の同僚の奥さんの出身地でした。

 

彼女の実家に泊めていただけるということで、私たちは家の中に案内されました。なんと、家の中の柵に囲まれたところに、豚がいました。臭くはなかったように記憶しています。

 

家はレンガでできているのですが、床は土でした。泊まっていいと案内された部屋は主寝室です。床は土でしたが、とてもきれいになっていました。あまりにも申し訳ないと思って、村の唯一のホテルだというところに連れていってもらったのですが、ベッドがあるだけのあまりにもお粗末な部屋だったのであきらめました。

 

家族の方たちも、村の人たちも、皆白人で、青い目でした。皆、穏やかな表情で、時間がゆっくりと流れているような、不思議な村でした。

 

トイレに行きたいと思って、トイレがどこか聞くと、困った顔をして黙っているのです。トイレがないらしいのです。困ったのは私たちです。

 

どこか外で木を探して、木の後で用を足そうと思ったわけですが、村には一本も木がないのです。村から遠く離れたところに一本だけ立っている木をみつけて、そこまで歩きました。長い道のりでした!

 

翌朝、朝食をいただきました。テーブルにジャムの瓶をもってきてくれて、ふたを開けてくれました。その途端、蠅が一斉に瓶の口にひしめき合ってとまり、真っ黒の輪になりました。びっくりしましたねー。食べれませんでした。

 

生まれたばかりの赤ちゃんがいて、とてもかわいかったです。村の人たちはとても親切で、幸せそうにみえました。

 

トイレがなかったのは、豚が一役買っているわけですよね。家の中に豚がいても、臭くはなかったし、ジャムの瓶の蠅はいただけなかったけれど、人々は平和で、幸せそうでした。そう見えただけだったのでしょうか?わかりません。

 

まとめ

その時は、私も子どもだったので、その村が何で生計を立てていたのかわかりようがありませんが、ひょっとしたら、貧しくて困っていたのかもしれません。本当に実在したのだろうか?夢だったのではないだろうか?そんな風にも思える、不思議な空間でした。


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メキシコでの恐怖体験(サン・フアン・チャムラ)


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こんにちは。カルメンです!今回は私が子どものころの、メキシコでの恐怖体験をお話しようと思います。サン・フアン・チャムラという村での体験談です。

 

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               マヤ遺跡・チアパス州・メキシコ

 

子どもの頃の記憶

子どもの頃に恐怖感を味わった記憶をたどってみました。遠い昔のことであるけれど、その村の名前が「チャムラ」であることと、その村に行くために、「クリストバル・デ・ラス・カサス」という町に泊まったことは覚えていました。メキシコに住んでいた頃の話です。

 

調べてみたら、「聖なる」が抜けてましたね。「サン・クリストバル・デ・ラス・カサス」と「サン・フアン・チャムラ」でした。

 

「サン・クリストバル・デ・ラス・カサス」はメキシコのチアパス州の都市で標高2,200mの山の中にあるスペイン植民地時代の雰囲気が色濃く残っている町です。私の記憶の中にあるのは、ホテルの中の寒さ、部屋にあった暖炉の燃える火です。

 

そこから10kmのところに、「サン・フアン・チャムラ」があります。メキシコの警察も軍隊も入り込めない、Tzotzil Maya族の自治体で、言語もスペイン語は使われていません。

 

私たちは町のセントロ(中心)にある教会へ行ってみました。外側はスペイン人が征服時に建設したであろう、教会ですが、中に入れば、明らかにそこは、キリスト教の世界ではありませんでした。子ども心に怖かったです。洞窟に入ったように薄暗く、先が見えませんでした。

 

床が土なのです。上の方に微かな光が漏れていて、窓があったのでしょうが、まるで森の中で木漏れ日が射しているかのように見えました。薬草の匂いが立ち込めていて、火を焚いている煙がもやのようにあたり一面漂っているのです。

 

人々は皆、黒い装束を身にまとっていて、腰に付けた細い紐には、赤や黄色などの色が混ざっていた気がします。下に白い生地のものも付けていたかもしれません。

 

アジア人など、多分見たこともなかったし、存在すら知らなかったのかもしれません。子どもたちに追いかけられて慌てて車に乗ると、なんと、たくさんの子供たちが、窓中に顔をへばり付かせてきたのです。みんな笑顔なんですよ。笑顔なんだけど・・・

 

吐く息が窓ガラスに・・・多分生まれて一度もお風呂などには入ったこともないであろう彼らの手は油脂だらけで、窓ガラスには手の跡と口の跡だらけに・・・窓両側と後と前にも・・・完全に檻の中の動物状態・・・

 

その後父は、村の偉い人だったかに、「これからここで、殺人の裁判が始まるから、よそ者は出ていくように」と忠告されたそうです。もちろん、しっぽ巻いて逃げました。

 

インターネットで調べてみると・・・

私の中では、教会の中は、黒魔術の世界という印象を持っていました。今回記事を書くに当たり、初めて、インターネットで調べてみました。教会の中、写真を撮るのは禁止されていると思っていたのですが、ありましたね。

 

私が思っていたより、ずっと明るくて、教会の中も、とりあえず、「森の中」ではなく、「建物の中」のように見えます。

 

下が土だと思っていたのが、緑の草が敷かれているようですね。もう、何十年も前の話ですから、「サン・フアン・チャムラ」が変わってきているのかもしれません。私自身の記憶も、恐怖心を抱いたことから、暗いイメージになっていたのかもしれません。

 

好奇心いっぱいの子どもたちに取り囲まれて、何が怖かったのかとも思うのですが、怖いと思ってしまいましたねー。この記事を書いたおかげで、ちょっと怖くなくなりました。

 

まとめ

昔の怖かった記憶を掘り出して、記事にしてみました。メキシコは16世紀にスペインに征服されてから、どんなに小さな村にも教会が建てられました。国民のほとんどはカトリック教徒だとはいうものの、征服されきっていない部分もいまだにあるんじゃないかという気がします。

 

 


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京都女性とイギリス人男性の国際結婚カップル(価値観について)


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こんにちは。カルメンです!今回は、京都の女性とイギリス人男性の国際結婚カップルのお話をさせていただこうかと思います。そして、価値観についても考えてみました!

 

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京都の女性Kさんとの出会い

子どもに10年以上恵まれなかった私たちは、オーストラリアに来てから初めての子を授かりました。何もかも初めてのことばかりで、まだ知り合いもあまりいなかった頃のことです。突然Kさんから電話をもらいました。

 

オーストラリアに移住した私たちには、家族も知り合いも周りに誰もいませんでした。それで、とりあえず、ブリスベンにある二つの日本人会に登録しておきました。私たちが住んでいる町はブリスベンから西へ40kmのところにありました。Kさんは、そこからさらに西へ行ったところにある町に住まわれていました。

 

Kさんは、イギリス人の旦那様と暮らされているけれど、周りに日本人が誰もいなくてさびしくて、日本人会に登録してある人たちの住所の中から、一番近かった私のところに電話してきてくれたのです。

 

遊びに来たいということで、Kさんがうちに遊びにいらしたのは、私が初めて子どもを産んで5日目のことでした。3時間ほどの間、何もお構いはできませんでしたが、Kさんは、たくさんお話していかれました。きっと日本語を話すことに飢えていたのかもしれませんね。

 

その後、Kさんは、ゴールドコーストに引っ越されていかれ、しばらく葉書きのやりとりはありましたが、今は連絡が途絶えてしまっています。だから、これからお話する彼女のストーリーは、その時に聞いたお話です。

 

Kさんから聞いたお話

Kさんは京都の方でした。ペンフレンドがたくさんいて、世界中の人たちと手紙のやりとりをしていました。クリスマスカードを書いて、社交儀礼として、全員に「遊びに来てください」と書いたそうです。

 

「誰も来るはずないと思うでしょ。来たのよ、一人、ほんとにオーストラリアから」「仕方ないからあっちこっち案内したわよ」「そのうち九州とかどっか行くと思うじゃない?行かないのよ、どこにも。ずっといるのよ、京都に」

 

こんな風に言われたと思いますが、ひょっとしたら京都弁だったのかもしれません。もう、遠い昔のことで、はっきりと記憶にはありませんが。この方がご主人となったイギリス人の方だったんですね。それで、今度はオーストラリアに遊びに来てくださいという話になってオーストラリアに来たそうなんです。

 

「案内してくれたわよ・・・海」

 

価値観

彼女はちょっと不服そうでした。京都でいっぱい案内してあげたのに、海だけ?みたいな。京都には歴史的な建造物とかたくさんあるのに、ここは何もないの?みたいな。これだけ?みたいな。

 

オーストラリアってどうしても、そういう部分あるんですよね。「これはすごく歴史的な建物です。150年前のものです」みたいな。ヨーロッパから来たりすると、150年前が価値あるのか?みたいな。

 

旦那様はオーストラリア人が好きではなくて、日本人と付き合うようにKさんに言われてたそうです。オーストラリアって、確かにイギリスからの入植者が多いのにも関わらず、オーストラリア人とイギリス人っていまいち混ざり合ってない気がするのは私だけ?

 

私自身もオーストラリアにいながら、イギリス人の友達が多い。なんでかな?

 

とはいえ、角度を変えて見れば、オーストラリアはすばらしいものがたくさんあります。海は、それ自体、すばらしいものです。自然観察の目があれば、海も海辺も、大地も空も、宝の宝庫だし。詩的な研ぎ澄まされた感覚で自然を享受することができれば、得るものは大きいです。

 

オーストラリアの歴史も知るとすごく面白いです。知らないから価値を見いだせないだけ。文化もすでにあります。それに価値を見いだせるかどうかはその人次第。

 

人もそうですよね。その人の価値が、ある人には見えるけど、ある人には見えない。ある人にとって価値が見えなかったとしても、それがその人の価値がない、というわけではないですよね。

 

そんなこんなで、Kさんは、京都に居座ったオーストラリア在住のイギリス人に、価値を見出されて結婚されたんだなあ、と思ったわけです。ゴールドコーストに引っ越されて、水を得た魚みたいだって言われてたと思います。やっぱり、田舎より都会の方が好きだったんですねぇ。

 

まとめ

まとめって、自分でも何が言いたかったのか・・・。3時間、お話してもらっただけだったんだけれど、すごく印象に残ったんですよね。京都から、海しかないようなところに嫁いでくるなんて、すごい決断だな、と思って。風邪ひいて、寝込んでるときに、旦那様がケンタッキーフライドチキンを買ってきたときには、頭に来たなんて言ってられたけど、ゴールドコーストだったらうどんも売っているだろうから、どこかで仲良くやっていることを願います!

 

 


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