カルメンの国際結婚雑記ブログ

オーストラリアや英語、スペイン語やメキシコの情報を発信しています!

セミ・フォーマルとは?フォーマルとは?オーストラリアの慣習

こんにちは。カルメンです!今回は。セミ・フォーマルとは?フォーマルとは?という疑問にお答えしようと思います。オーストラリアの慣習です。 


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クッカバラ・クイーン

セミ・フォーマルとは?フォーマルとは?

下の娘が高校2年生で、セミ・フォーマルのイベントに参加しました。学校が主催するセミ・フォーマルのイベントは、上の写真のクッカバラ・クイーン号の船に乗りながら3時間程続きました。ブリスベンの夜景、いかがですか?

 

セミ・フォーマルとか、フォーマルってドレスコードのことですよね。でも、オーストラリアでは、高校生が卒業する頃に行われるダンスパーティーのことを言っていたりします。アメリカではプロムと言っているようです。

 

 娘の通っている学校では高校2年生の時にセミ・フォーマルが催されて、高校3年生の時にフォーマルが執り行われます。両方とも夜、行われて、ドレスコードはその名の通り、フォーマルはフォーマル、正装です。

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フォーマル

こんな感じですね↑

 

 そしてセミ・フォーマルは…

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セミ・フォーマル

↑こんな感じかな。夜のセミ・フォーマルだと、もうちょっとヒザ下まで長さがある場合が多いですけれど。

 

学校が主催するというのが、日本人にとってはちょっとわかりづらいかもしれませんよね。でも、学校を卒業して、これからどんどんパーティーに参加する機会が増え、ドレスコードがフォーマルだの、セミ・フォーマルだの、スマートカジュアルだのって招待状に書かれているわけです。

 

大人になってやることの予行演習みたいなものを、高校生のうちにやっておくのですね。だって、お見合いがない世界では、色気で異性を落とすしか方法がないんですもの。

 

それで、以前住んでいたメキシコでも、やたらとパーティーが多かったのですが、なんでかっていうと、人は皆、出会いを求めているんですね。

 

日本も、ずいぶんいろんなことが西欧化してきている割に、そういう「人との出会い」の部分は、いまだに、書類でチェックを入れてから(年収とか、年齢とか、学歴とか)という慣習が抜けないですよね。そんな風に思います。

 

まあ、オーストラリアの高校生のダンスパーティーである、セミ・フォーマルやフォーマルというのは、本当に日本と全然違う文化だなあ、とつくづく感じました。

 

ちなみに、夜のブリスベンの船の中で行われたセミ・フォーマルのダンスパーティーには、先生方や校長先生もちゃんとドレスアップして参加されていました。

 

娘の学校は女子校なのですが、ボーイフレンドがいる人は一緒に参加して良いことになっていて、男性たちもおしゃれな格好で参加していました。

 

セミ・フォーマルとは?フォーマルとは?まとめ

フォーマルは正装で、セミ・フォーマルは準礼装というドレスコードのことですが、オーストラリアの学校ではダンスパーティーのイベントのことを指して言います。

 

ティーンエイジャーたちが、大人の世界へ巣立って行くために学校側が主催するイベントです。ちなみに、大学の寮などでも、学年末にフォーマルのパーティーが催されることはよくあるようです。

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

スペイン語の学習・初心者でも3 か月で話せるように

 

 

スペイン語の詩・Romance de la noche(小夜の物語詩)

こんにちは。カルメンです!今回は、スペイン語の詩「小夜の物語詩」をご紹介しようと思います。サルバドール・デ・マダリアガによる詩です。彼はスペイン人です。

 

スペイン語が上手なオーストラリア人バレリーナ、アレハンドラさんがこの詩を昼食会で暗唱してくれました。とても素敵な詩なので、翻訳を試みました。


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Romance de la noche

スペイン語の詩

Romance de la noche 

              Salvador de Madariaga

La noche tenía frío


y se fue al sol con la queja.


El Sol, que es buena persona,


le dijo: "Pues ten paciencia,


y te haré yo una toquilla


toda de linda calceta;


las agujas, las del tiempo;


los dedos, mis rayos sean;


la lana un hilo de luz,


y la Luna la madeja.


Allí donde caiga un nudo


he de poner una estrella".


El Sol cumplió su palabra.


Cuando terminó de hacerla,


la noche quedó asombrada


de toquilla tan espléndida.


Al echársela a los hombros,


la noche, que es friolera,


seguía teniendo frío;


pero al mirarse, por verla,


en el espejo del mar,


se quedó tan satisfecha


luciendo sobre la espalda


una toquilla de estrellas,


que se aguantó todo el frío


con tal de ir tan peripuesta;


y, como es agradecida,


se fue a ver al Sol, dispuesta


a dar las gracias, muy fina,


por aquella gentileza.


Pero nunca se encontraban


sobre la celeste cresta,


porque cuando el Sol subía,


ella bajaba la cuesta,


hasta que gritando fuerte,


a través de toda la esfera,


ella dijo: "¡Gracias, rubio!".


Y él dijo: "¡A tus pies, morena!".

 

小夜の物語詩

  サルバドール・デ・マダリアガ

 

小夜は寒かった

それで太陽に苦情を訴えた

性格の良い太陽は言った

 

「まあ、少し我慢して。

僕が君にショールを編んであげるから

伸縮する良いものだよ、

 

編み針は時計の針を使って、

僕の光線が指となるだろう、

光の糸が毛糸だ

そして月が糸を巻くかせだよ

 

結び目となるところには

星をつけよう」

 

太陽は約束を果たした

ショールができあがったとき、

小夜は驚嘆した

そんなにも見事なショールだったから

 

肩にそれをかけてみると、

寒がりの小夜はまだ寒くはあったけれど、

海に映った自分の姿をを見るにつけ、

とても満足した

 

星のショールが

背中に輝いているから

だから寒いのは我慢した

粋に見られたかったから

 

そして彼女は感謝の気持ちを忘れない人だから、

太陽の優しさに

礼儀正しくありがとうを言おうと

探しに行った

 

けれど、空の上で二人が会うことは

決してなかった

なぜなら太陽が上に上がる時は

彼女は坂を降りていったから

 

それで、地球の裏側まで聞こえるくらいの

大きな声で彼女は言った

「金髪さん、ありがとう!」

 

すると彼はこう答えた

「褐色の肌の君、僕は君のしもべだとも!」

 

 

スペイン語の詩・まとめ

スペイン語の詩・Romance de la noche(ロマンセ デ ラ ノーチェ)の日本語訳、お楽しみいただけましたでしょうか?我ながら、うまく翻訳できたと思います(笑)

 

最後の「僕は君のしもべだ」というような表現は、日本人は使わないだろう表現ですけれど、太陽が地球の裏側にいるという意味とかけてあって、言葉遊びが楽しめる詩です。

 

ストアカ
 

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Encinas Yayoi

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カンパニーの意味、スペイン語でコンパニア(Compañía)の語源

カンパニーの意味は会社ですよね?英語でCompanyと書きます。スペイン語ではコンパニア(Compañía)と言うのですが、やはり意味は同じ、会社とか同伴という意味です。語源は何でしょうか?耳より情報を得てきたのでシェアいたします!


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パンを伴に食べる

英語のカンパニー、スペイン語のコンパニアの言源

昼食に招待されて

オーストラリア人女性でバレリーナ、ダンサーや演出家として活躍していて今は引退していらっしゃる、アレハンドラさんという方がいらっしゃいます。

 

海外でも活躍してらしたのですが、特に、スペインでも長く仕事をしておられて、亡くなられたご主人もスペイン人だったので、スペイン語が堪能な方です。

 

アレハンドラさんの家に昼食に招待されて行ってまいりました。オーストラリアはクイーンズランド州のヤラマンという町に住んでいらっしゃいます。

 

早速オーブンから焼き立てのパンを出してくださいました。「昼食はパンとともにいただきましょう」という意味で、スペイン語で「Con pan」と言いました。「Con」というのは「ともに」「一緒に」という意味で、「pan」は「パン」です。

 

その後、耳よりな情報を教えていただきました。

 

英語のカンパニー、スペイン語のコンパニアの意味

英語のカンパニー(Company)が会社という意味であることはよく知られていると思いますが、その他にも、交際とか仲間、交友、一団、などの意味もあります。

 

スペイン語ではコンパニア(Compañía)と言います。意味はやはり、会社とか、同伴、同行、友の交わり、付き合い、一団、と同じような感じです。

 

それで!知らなかったのは、この英語のカンパニーとか、スペイン語のコンパニアという言葉が「Con pan」から来ていたということです!それを聞いて腑に落ちました!

 

ラテン語ではパンのことを「panis」というのです。「~とともに」という意味の「Con」は、「p」の前に来ることで、言いやすいように「Com」に変化しているのですね。

 

「パンを分け合うこと」、「パンを一緒に食べる仲間」、「同じ釜の飯を食う」という意味だったんですねー!! バレエの一団も会社も、「同じ釜の飯を食うお仲間」だったんですね!!!

 

更に調べてみたら、「パンを分け合う」というのはすなわち、キリスト教徒が「同志」という意味で使っていたのが語源なのだということがわかって、なるほど、そうなると、「同じ釜の飯」というのはごはんだから、ちょっと違うのか…と思ったわけです。

 

でもまあ、カンパニーやコンパニアの語源がキリスト教の「パンを裂いてみんなに配った」ことから来ていたとしても、今は、宗教に関係なく、それこそ、「同じ釜の飯を食う人たち」も含めて、「仲間」という感じの意味で使われています。

 

だから、会社の人たちも、この本来の意味のように、仲良くなれればいいですよね。昔の日本の会社の方が今より、カンパニーやコンパニアの意味に近い感じだったでしょうか。

 

カンパニーの意味、スペイン語でコンパニアの語源・まとめ

スペイン語の上手なオーストラリア人元バレリーナのアレハンドラさんに、昼食に招待していただき、その時、英語のカンパニー(Company)、スペイン語のコンパニア(Compañía)の語源を教えてもらって一つ賢くなりました。

 

「パンを伴にいただく(仲間)」という意味でした!目からうろこ。

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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スペイン語のことわざ・格言・言い回し

こんにちは、カルメンです!今回は、メキシコ人の旦那さんが教えてくれたスペイン語のことわざ、格言、言い回しについて書いてみます。スペイン語ができなくても、スペイン語のことわざを1個、覚えておいて、スペイン語圏の人をみつけて言ってみてください。

 

だって、日本語のできない外人さんが突然「月とスッポン」なんて言ったら面白くないですか?スペイン語のことわざ一つ覚えても損はないですよ(^^) 


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Sacar los trapitos al sol.

スペイン語のことわざ・格言・言い回し

Sacar los trapitos al sol

サカール・ロス・トラピートス・アル・ソル

ロス・トラピートスは雑巾とかぼろ布のことです。

ソルは太陽のことです。

サカールは出すという意味です。

 

直訳は雑巾を太陽に当てる、雑巾を干す、雑巾を表に出すということです。

で、「Sacar los trapitos al sol」の本当の意味は、「秘密をばらす」です。

 

雑巾とかぼろ布というのは普通、隠してありますよね?それを人目にさらすということで、よからぬ隠し事を表ざたにする、ということです。

 

旦那さんが「外に何があるか見てごらん?」というから見たら、ペットの腹巻(笑)が洗って干してあったんです。それで、「Sacar los trapitos al sol. どういう意味かわかる?」って言って教えてくれました。結婚ウン十年たってても、まだ夫婦の間で話したことがないことってあるもんですよね…

 

Más vale pájaro en mano que ciento volando

マス・バレ・パハロ・エン・マノ・ケ・シエント・ボランド

パハロは鳥、マノは手、シエントは百、ボランドは飛んでいるです。

マス・バレ~ケ☆は、 ☆より~の方が価値がある、です。

 

つまり、飛んでいる百羽の鳥より手の中にある一羽の鳥の方が価値がある、ということです。

 

 メーテルリンクの「青い鳥」のお話のような感じですかね?チルチルとミチルが幸福の象徴である青い鳥を探しにいって、手に入れることができなかったけれど、実際には自分たちの家の鳥かごの中にいたという…それで最後にその青い鳥は逃げてしまうのですよね。

 

大切なものが近くにあっても気が付かなかったりするんですよね。そんなことを言っているのかな、と私は思いましたけど。

 

A lo que te truje Chencha

ア・ロ・ケ・テ・トゥルヘ・チェンチャ

トゥルヘというのはトラヘ(traje)と言って「連れてきた」という意味の言葉がインディオ(メキシコの土着民)の方言の言い方になっているものです。

 

チェンチャというのは、クレセンシア(Crecencia)またはイノセンシア(Inocencia)という女性の名前のあだ名のようなものです。

 

 テというのはこの場合、「君を」という意味です。

 

「チェンチャ!君をここに連れてきたのは何のためだったかな?君のやるべきことをやりなさい!」という意味です。命令調です。

 

普通、誰かが誰かをどこかに何らかの目的で連れていって、連れていった人が、連れて行かれた人に言うフレーズです。

 

例えば誰かがパーティーに連れていかれて、食べ物を食べていたら、「A lo que te truje Chencha!」と言われて一緒にダンスを踊る、という感じです。パーティーに来たのは何のため?食べるためじゃないでしょ?踊るためでしょ?というときです。

 

これはすっごいメキシコ的表現です。

 

El que quiera azul celeste, que le cueste

エル・ケ・キエラ・アスール・セレステ、ケ・レ・クエス

アスールは青、セレステは空の、なので、アスール・セレステで空色ですね。

エステはお金がかかるとか労力がかかるという意味です。

キエラは欲するという意味です。

 

直訳すると、「空色を欲する人はそれなりの対価を払うべき」という感じです。

セレステとクエステは韻を踏んでいます。

 

空色というのはきれいな色だし、特別な色ということで、「贅沢なこと言うんだったら、それだけお金かかってもしょうがないんじゃない?」とか「贅沢なこと言うんだったらその分、苦労しなきゃね」みたいな言い回しです。

 

 Cébalo, cébalo, diablo panzón

セバロ、セバロ、ディアブロ・パンソン

ディアブロとは悪魔とか鬼のことです。

パンソンは「ほてい腹の」という意味です。

セバロはセバール(cebar)という動詞から来ていて、「存分に苦しめる」とか「火薬を詰める」なんて意味もあるようです。

 

これは呪いをかける、というか、おまじないのような言葉ですね。

敵に対してこのおまじないを唱えると、お腹の突き出た悪魔が相手の気を逸らしてくれて助かるという…

 

「お腹の出た鬼さん、お願いだから相手の気を逸らせてこっちに災難が降りかからないようにしておくれ」といった感じの意味です。

 

これもめっちゃメキシコ的な言い回しだと思います。義理の母が言っていたようなので、ひょっとしたら出身地のプエブラやトラスカラの方の言い回しかもしれないという気もします。

 

Vamos a ver, dijo un ciego. ¡Y nunca vio!

バモス・ア・ベール、ディホ・ウン・シエゴ. イ・ヌンカ・ビオ!

バモス・ア・ベールというのは直訳すると「見てみましょう」ですが、「そうですね」とか「考えとくよ」という意味あいで使われます。

 

ディホは「言った」、ウンは「1人の」、シエゴは「盲人」で、

バモス・ア・ベール、ディホ・ウン・シエゴは「めくらの人が考えとくよ(見てみましょう)と言いました」という意味です。

 

イは「そして」、ヌンカは「決して」、ビオは「見なかった」です。

 

どういう意味だと思いますか?「無理」という意味です。

 

 例えば、子どもが親に「お小遣いちょーだい」と言ったとします。親が「No(ダメ)」と冷たく答える代わりにこう言うのです。「考えとくよ(見てみましょう)、と盲人が言った。それで見ることは決してなかったんだよ!」と。

 

盲人が「見る」のは「無理」なことなのだから、やんわりと否定するとき使われる言い回しです。

 

スペイン語のことわざ・格言・言い回し・まとめ

いかがでしたか?どれか気に入っていただけたスペイン語の言い回しはありましたか?一番最後のバモス・ア・ベールの言い回しは旦那さんに彼のお父さん(私の義理の父ですが)が言っていたそうですよ。なかなかおしゃれな断り方じゃないでしょうか?

 

ストアカ
 

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蝶モナルカ(メキシコに越冬する)・メルヘンの旅

こんにちは、カルメンです!今回は、「メルヘンの旅」と題してカルメンの父・明のノートにあったものを書きうつしてみようと思います。メキシコに越冬する蝶モナルカを多分1980年代位に父が見に行ったときのことが書かれていました。


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モナルカ

メルヘンの旅・メキシコに越冬する蝶モナルカ

閑散とした田舎町を

メヒコ(メキシコ)の人口密度は日本の10分の1しかない。その上メヒコ(メキシコ)市は2,000万人の大都市で、他にも大きな市が、プエブラベラクルスモンテレイアカプルコなどあり、人口の集中が大きい。

 

そのため、地方は人口が希薄である。車で地方を走ると、所々に大きな教会があるのに全く人がいないので、のぞいてみると、既に廃墟になっている。

 

昔地方に人々がいたために大きな教会が作られたのだが、人口の急激な減少が生じたために地方から人がいなくなり、教会だけが残った。ほとんどがスペイン人が持ち込んだ天然痘などの病気で人々はばたばたと死んだがための地方の過疎化が生じた。

 

しかし、サボテンの林の中に凹凸の道はある。そこを車で走ってもサボテンだけの山が続き人もいない。

 

その荒涼とした林のはるか先に何かが見える。何だろう。細い柱のようだ。少しずつ近づくと、それは教会の先端であり、だんだんとセントロ(※)が出てくる。

 

やっと人の居場所にたどり着いたのだ。その地方のセントロは、人々がちらほらで、石畳のみで店も何もない田舎の町でありほっとする。

 

そのセントロを過ぎて山道を上ると山の上の道の両側にカサブランカ(白い家)の田舎の村が出てきた。二階屋は全くない。誰も人は歩いていない。

 

大人は全く出てこないので、その田舎町をのろのろと行き、子どもをみつけてやっと話しかけることができた。

 

 メヒコ(メキシコ)の田舎は全く排他的で、常にこんな様子で子どもにのみ話ができる。その子どもに聞いた。モナルカの越冬の森はどこかと。

 

子どもはだまって指を指した。その時大人が出てきて急いで子どもを連れて行った。

 

死者の日にやってくる蝶

その場所は神聖な所故、人に言ってはいけない所なのだ。何千年の昔から蝶が来る。それもメヒコ(メキシコ)の死者の日に突然大量にやってきて、またいづこかに去って行く。

 

この現象が昔の人々にとって何か意味するか。まさに死者の霊が蝶に乗って人々の所に帰ってきたとしか思えない。

 

だから昔からこの蝶に神の意志を思って、人々はただ黙って世代から世代に受け継いできて、大袈裟に言われることはなかった。

 

蝶の渡りの発見

しかしアメリカ人は違った。彼らは何か発見できるのなら、人の心の中に土足で付け入る性格の人々だとメヒコ(メキシコ)人は思っている。それは事実だ。

 

だからアメリカ人は蝶の渡りを発見した。すなわちモナルカ(オオカバマダラ)のアメリカからメヒコ(メキシコ)までの渡りである。

 

誰が想像するだろうか。わずか3gr の蝶が、アメリカから越冬のために3,000kmも渡りをする。そしてメヒコ(メキシコ)の森で冬を過ごすとまた、アメリカまで飛んで帰っていく。

 

この事実は人々の想像外のすごい事実であり、今、アメリカ人が大勢、研究所で研究している。

 

このモナルカは、アメリカで2世代が交代して、3回目の蝶が突然に大型化して渡りをするとのこと。途中、メヒコ(メキシコ)の大地はコスモスが咲き、その花を頼りに生き長らえてメヒコの特定の森に到着する。

 

荘厳の気配

私は先ほど会った子どもの話を信じて、何もない山と谷を越え、突然山脈中にある大きな森に着いた。

 

そこには何十万の蝶が木にしがみ付いて越冬中で、森の中はその蝶の羽音のみしかしない神秘の世界であった。荘厳の気が満ちて、神々とともにそこに居るような感じに心がしびれた。これぞメルヘンの旅でなくて何だろうか!!

 

想像してください。何の音もない大きな森の中の木に、蝶がしがみ付き羽を動かしている。その蝶の立てる羽音のみがサワサワと、何とも表現出来ない音のみする世界に身を置いたときの荘厳の気配を。

 

我々日本人にとって正にそれは神の存在と感じる。

 

※都市づくりはラテンアメリカの内、ブラジルを除くスペイン植民地であった所は、全く同じ様式をかたくなに守って作られている。セントロ(中央広場)があり、その周りに教会が一辺を占め、他方に政府の建物があるという形である。

 

セントロの周囲にのみ人家(石造りの平屋)が固まってあり、市場がある。

 

メルヘンの旅・メキシコに越冬する蝶モナルカ・まとめ

父がメキシコのモナルカの蝶がいる所を訪れてから何十年という月日が過ぎました。今はたくさんの観光客が、蝶のいる時期に訪れるようになったようです。

 

道も整備されて、ツアーが出ており、入場料も払うようになっているそうです。

 

だから、父が神の存在を感じたような、羽音だけの世界を感じることは難しいのかもしれません。それでも、きっと目の当たりにしたら感動すること間違いないですよね。

私も行ってみたいです。

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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アマゾン河を舟で下る・ブラジル旅行記

こんにちは、カルメンです!今回もカルメンの父・明のノートからのブラジル旅行記「アマゾン河を舟で下る」を書いてみようと思います。 


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アマゾン河

アマゾン河を舟で下るーカルメンの父・明のノートから

アマゾン河は我々が持っている川という常識が通用しない河と言える。川の常識は利根川であり、荒川であり、京都の賀茂川といったところでしょう。

 

アマゾン河には河岸がない。それは陸から木が川の中まで伸びてきているためである。故にアマゾン河からその木々の間を舟で入っていくとしばらくして丘が出てきてやっと陸地となる。

 

アマゾン河との出会い

 

アマゾン河に初めて出会ったのはサンパウロに行く時で、その途中に給油のためマナウスに飛行機が降りた時です。マナウスに降りることは知らなかったので、窓から見ると海が見えたので慌てて降りようとしたら、飛行士がどこに行くかと聞くのです。

 

サントスに着いたらしいので降りるのだと言ったら、ここはサントスでないと言う。でも窓から海が見えるではないかと言ったら、あれはアマゾン河だと言う。しかし向こう岸が見えないではないかと言ったら、アマゾン河は今増水期で向こう岸が見えないのだと言う。

 

これは私の川に対する常識をぶち壊す事実で全くびっくりしました。

 

一口にアマゾン河と言うけれど

 

アマゾン河はスタート時点からアマゾン河ではない。アマゾナス地域全域の多数の河の内、上流のアマゾナス地域を流れるペルーから来る大河リオ・マラニョンがアマゾン河の大きな割合を占めるほどの大河だ。

 

その他、Rio Juruá, Rio Purusが大きな川で、その他にも9本の河が流れ込んでいる。マナウス市の手前でリオ・ネグロが直角に流れ込んでアマゾン河は完成した大河となる。

 

下流でもまた多くの河が流れ込んでいるが、すべてはアマゾン河である。この多くの河の内、Rio Negroがアマゾン河に及ぼす影響は大きい。

 

リオ・ネグロとは黒い川という意味で、真っ黒い川である。このリオ・ネグロは急流の大河で直角にアマゾン河に流れ込んでもぐり込んでいく。

 

しかしネグロ河は温かい河で、アマゾン本流は上流の雪が溶けてきた冷たい河と、全く違っている。

 

それがアマゾン本流にもぐり込んでいくと、アマゾンの本流の下に温かい水がどんどんたまっていき、ある時点で、温度差から来る上下逆転を生じ、間欠的にマナウス市の上流で川が大きく盛り上がった噴流が生じる。

 

それは見事なまでの大河の噴流で、これでもって上下の温度差がなくなり、アマゾン河は温かい河となる。

 

アマゾン河はその深さが場所によって100m以上である。100m以上に深い深さを持った河は他にアフリカのコンゴ河しかない。そのコンゴ河流域には多くの生物が住んでいるが幅は大したことはない。

 

アマゾン河の幅は雨季には対岸が見えなくなるほど幅広く深い河で、またその河の流れは速い。驚くべき河と言える。

 

アマゾン河の水質

 

ネグロ河の岸を歩いてみたが、意外と透明で温かい。枯葉が多い豊かな河であることがわかる。タンニンのせいで黒く見える。

 

乾季には水位が15m程下がってくる。すると川の中に所々大森林が姿を現す。その森は不思議にも、半年中水中にあったのに枯れもせず、緑濃き森である。実に感銘を受ける自然の景色だ。

 

太陽光が河の深いところまで入っていく水であるので、植物が水中でも光合成を行っているための現象である。すなわち水はかなりの透明性を持っているのである。

 

アマゾン河は一見濁った川に見えるが、これはこの水質が実に清潔であることを示していて感慨深い。すなわち、腐敗菌がない事を示している。

 

だからアマゾンの魚は川魚であるが、川魚臭がない。まるで海の魚と同じ感じである。その魚は大部分がナマズであるが臭気はない。うまい!!川の水質から来ている。細菌の種類が異なるのだ。

 

アマゾン河の川下り

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 アマゾン河の川下りは小舟をチャーターして行うと楽しい。空は大きく、南十字星が川の正面にある。十字星の星が5個あるのもはっきりわかる。赤道より4℃南だが、真正面にあるように美しく、両岸に人口の燈は全くないため良く見える。

 

アマゾン河の旅行は舟をチャーターして行うと快適であるが、乗り合いもある。この乗合舟は、夜寝るときハンモックだが、ハンモックの上にハンモック、そのうえに直角にハンモックで、乗り心地は全く地獄に近いからやめた方が良い。

 

アマゾン河を舟で下る・ブラジル旅行記・まとめ

今回は、カルメンの父・明のブラジル旅行記「アマゾン河を舟で下る」でしたが、私と旦那さんも新婚旅行でマナウスに行っていて、アマゾン河を目の当たりにしています。

 

一番上の写真のように、川が2色に分かれていて興味深かったです。10km位、混じり合わないそうですよ。

 

マナウスの街中の道端で、こんにゃくのラーメンのようなものを買って立ち食いした覚えがあります。お箸のようなものを1本渡されて、「こっちのお箸は1本なのかー」と面白かったです。

 

本当に、日本からだと地球の裏側という感じで、何もかもが違う感じでした。メキシコからでもめっちゃ遠いんですよ。メキシコは北半球ですから。

 

ストアカ
 
 

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戦争悲話・エリザベス・サンダースボーイ

こんにちは、カルメンです!今回は、「エリザベス・サンダースボーイ」としてカルメンの父・明のノートにしたためられていた戦争悲話を書かせてください。


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エリザベス・サンダースボーイ☆カルメンの父・明のノートから

終戦後、進駐軍が多数日本に入ってきました。当然の結果として多数の孤児が生まれました。皆、アメリカ兵との混血です。

 

沢田という女性がこの混血の孤児たちを引き取って育てました。その施設の名前がエリザベス・サンダースホームと言います。

 

しかしそこで問題が生じたのです。白人との混血の孤児は皆、アメリカ人の引き取り手がいて出ていきました。その結果、黒人との混血児が皆残ったのです。

 

誰も引き取らない、未来は全くない状態になりました。解決法は一つしかありませんでした。すなわちブラジルに行き、そこでブラジル人として将来を送ることです。

 

しかし誰がブラジルでその成長を見届けるかです。

 

日本にはブラジル移民のための大学があります。拓殖大学です。そこの卒業生がブラジルに渡り農業を営んでいます。その農園に混血児たちを送り込むことにしたのです。

 

しかし、日本人の人たちはそこの農場で働き経営していますが、送り込まれた混血児たちは、ブラジルに慣れると大部分が勝手に出て行って消えてしまいました。

 

 現在もそのままの状況で、その後のことはわかりません。悲しい話です。

 

 

 エリザベス・サンダースボーイ・戦争悲話・まとめ

父はこの話をブラジルに住んでいるときに聞いたのだと思います。歴史の断片ですが、忘れてはならないことだと思いました。

 

 

ストアカ
 
 

Encinas Yayoi

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