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オーストラリアに移住したベトナム難民だった人と接して感じたこと


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こんにちは。カルメンです!今回は、オーストラリアに移住したベトナム難民だった人と接して感じたことを書いてみようと思います。日本人とは価値観が違うと思いました。 


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オーストラリアに移住したベトナム難民だった人と接して感じたこと

オーストラリアの歴史を垣間見る

オーストラリアは1901年から1972年まで白豪主義政策(White Australian Policy)をとっていました。1901年に移民制定法が制定され、ヨーロッパの言語での審査を行い、有色人種が入国できないようにしたのです。

 

白豪主義のきっかけとなったのが、19世紀半ばからのゴールドラッシュにより大量の中国人が流入し、白人社会に同化することなく白人労働者の職を奪うなどにより、反感を買ったことです。

 

1975年に連邦人種差別禁止法がオーストラリアで制定されました。その年の4月30日、南ベトナムの首都サイゴン北ベトナムに接収され、1976年、共産主義陣営により南北ベトナムが統一されました。南ベトナムからはたくさんの国民が国外脱出を図りました。

 

1975年以前、オーストラリアには約700名のベトナム人が住んでいました(ベトナム戦争花嫁など)。オーストラリアにいる家族、親戚を頼って、1981年までに5万人近いベトナム人が移住しています。

 

語学学校で出会ったベトナム人女性

私がオーストラリアに移住して間もない頃、移住者を対象にした語学学校で英語を勉強していたことがあります。電車で毎日通っていたのですが、同じクラスに1人だけベトナム人女性がいました。私より10歳程年上だったと思います。

 

同じ電車だったのでいつも一緒に帰っていました。英語に関しては私に対して対抗意識があるのが感じられて、日本人はそういうのをあまり表に出さないのでびっくりしたというのはあります。でも、優しくてとてもいい人でした。

 

日本人てよく「お金ない」って言いますよね?私も例に漏れず、「お金ないからビデオの機械は買えないけど」なんて、何の気なしに言ってしまったのですよね(昔、ビデオの時代がありました…)。

 

そうしたらなんと、次の日に彼女はビデオ機器を持ってきて私にくれたのです。「壊れてるけど」と言って。「壊れてるのをなおして使え」という意味なのでしょうけれど。

 

びっくりしました。それで、「他に何が足りない?足りないもの全部持ってくるから」と言うのです。優しいですよね。すごく優しいのですけれど、もう、だいたい足りてるから何もいらない、ありがとう、と言ってしまいました。

 

あれ以来私は一度も「お金がない」と言ったことがありません。日本人の「お金がない」と全然レベルが違うということを思い知らされたのです。

 

彼女は命からがらボートに乗ってオーストラリアまでたどり着いた人です。その前は、1年以上、マレーシアの難民キャンプで生活したそうです。

 

白豪主義が法的には終わりを告げた後に来たとはいえ、かなり苦労されたんじゃないかと思います。私達が移住してきて、差別されることなく過ごせているのも、ベトナム人たちのオーストラリアでの行いが良かったせいかもしれません。

 

彼女の家に行ったことがありますが、広大な庭には、たくさんの果樹が植えられていました。小さな川も近くにあって、魚も釣れるのだと、私もいただいたことがあります。

 

ブリスベン近郊にダラ(Darra)というベトナム人の街があります。そこで開かれる市場では、アジアらしい魚や野菜がたくさん売られています。ベトナム料理店もあります。スーパーでもアジアの野菜が買えるのは、ベトナム人によるところも大きいと思います。

 

戦時中の日本兵の話しをしてくれたこともあります。ベトナム人女性と日本兵との恋の話しです。

 

日本は、世界の中で、なんと幸せな国か。そんなことを感じました。

 

オーストラリアに移住したベトナム難民だった人と接して感じたこと・まとめ

私はベトナムに行ったことはありませんが、オーストラリアにいるベトナム人をみて、働き者で頑張りやで心が広くておとなしい、という印象を受けました。

 

違う語学学校で知り合ったベトナム人の女性はもう、子どもたちが大きくなっている人でした。彼女の子どもたちは、ベトナム料理より、オーストラリアのフィッシュ&チップスの方が好きなんだと言っていました。

 

ベトナム料理は臭いと子どもに言われるんだ、と少し悲しそうだったのが記憶に残っています。

 

でも、オーストラリアでみんな幸せだと思います。オーストラリアっていい国だなって私は思ってます。