こんにちは。カルメンです!今回は、海外で子育てしていて留意したことを書き留めてみようと思います。私はオーストラリアに移住して、二人の娘を授かりました。旦那さんはオーストラリア人ではありません。親が二人とも「よそ者」の土地で子育てをしたのです。
海外で子育てしていて留意したこと(オーストラリア)
子どもの寝顔を見て思ったこと
海外で子育てしていて留意したことを書きとめてみます。私の場合はオーストラリアに住んでいて、オーストラリアで子どもを産んで育てました。
旦那さんはメキシコ人なので、夫婦とも、オーストラリアではよそ者です。夫婦とも、オーストラリアに家族はいません。私たちだけです。二人とも、オーストラリアに移住したとき30代でしたが、友達も知り合いすら誰一人いませんでした。
異国の地で子どもを育てていて思ったこと、特に夜、子どもを寝かしつけて寝顔を見ている時私は何を思ったでしょうか?
「なんと非力なことか」「私たち夫婦が死んだらこの子たちの人生はどうなるのだろうか?」「誰がこの子たちの面倒をみてくれるのだろうか?」「辛い人生を歩むのではないだろうか?」
そんなことを考えて悲しくなって、神様に「どうか後10年は私たち夫婦が死なないで、子どもたちを守れるようにさせてください」と一生懸命祈りました。
その10年はもう過ぎていますので、神様に感謝しています。もう大丈夫かな、と。
海外で子育てしていて留意したこと
だから、私が海外(オーストラリア)で子育てしていて留意したことは、この思いがおおもとになっています。
「誰からも好かれる」というよりは、少なくとも「嫌われる」ことができるだけないような人柄に育つように教えてきた気がします。
オーストラリアが好きになるように、オーストラリア人が好きになるように育ててきたと思います。もちろん、日本やメキシコの良さも伝わっているわけですが、住んでいる国や人に愛情を持てるように留意してきました。
その裏には、「私たちにもしものことがあった時には、娘たちをよろしくお願いいたします」という気持ちが潜んでいたことは、白状せざるを得ません。
宗教も、もともと教会との約束(結婚したとき)があったので娘たちをキリスト教にしたというのがありますが(私はキリスト教徒ではありません)、周りの多くがキリスト教であるオーストラリアにおいて、娘たちをキリスト教徒にすることは意味のあることだと思いました。
一つには、何度も言うように、私たち夫婦にもしものことがあった時、教会の人たちが手を差し伸べてくれるだろうという思惑です。
もう一つは、幼い子どもが親を失って辛い人生を歩むことになったとき、悲しくて涙が止まらないとき、「お祈りをすればきっと助けてもらえる」と信じて乗り越えていってもらえれば、と思ったからです。
もし日本に住んでいたら、「学校に行く道にあるお地蔵さんが守ってくれる」とか、「あの山に向かってお祈りすれば、山の神様がきっと守ってくれるよ」と教えたかもしれません。
小さな子どもは、心の拠り所となるものがあった方が、安定して生きていけると思うのです。その拠り所を何にするかという問題ですが、私たちの場合はオーストラリアに住んでいるのでこういう形になったということをお伝えしました。
キリスト教について
宗教のことについて、こういう場で語るのはとても勇気がいりますが、少し書いてみようと思います。
キリスト教が以前、国々を征服するために利用されたことも重々承知しております。メキシコに13年も住んでいました。メキシコのピラミッドの上に教会を建てられたところもあります。
どんな小さな村にも教会があります。日本も征服される視野に入っていたことも知っています。
メキシコで当時行われていたいけにえ。若くて美しい女性やスポーツで勝ち残った勇者などが選ばれて、ピラミッドの上で生きながらにして心臓をえぐり取られて神に捧げられていました。
それは、とんでもない行いだとして、スペイン人によって破壊されつくし、キリスト教の布教が始まりました。
結果として、メキシコ人のほとんどがキリスト教ですし、今住んでいるオーストラリアでも、まだまだキリスト教が大半です。
それで私は、キリスト教徒ではないながら、たくさんのキリスト教徒の人たちに囲まれて生きてきました。みんなとてもいい人たちです。
日本人がお正月のお祝いや七五三、ひな祭りや子どもの日、お盆、神社やお寺に行くことなど、日常のこととして身体の中に優しい感情として入り込んでいるように、キリスト教の人たちの身体の中にも、暖かい感情としてクリスマスやイースター、教会のミサに参加したことや、教会が催す楽しいイベントなどが入り込んでいます。
それらは、それぞれの個人を形成するものなわけですよね。素敵な思い出として入り込んでいるのです。
キリスト教を否定するということは、キリスト教によって人間形成されてきた人たちをも否定することになり、傷つけることになるので注意は必要だと思っています。
キリスト教だけに限った話しではないですけれど。
海外で子育てしていて留意したこと・まとめ
昔、ひな人形を川に流したのは、子どもが病気になりませんように、との思いからだったと聞いています。宗教というのはそうやって、人々の幸せを祈るためにあるのだと思います。
海外で子育てしていて留意したことは、子どもたちが住んでいる国の人たちに好かれるような性格になるように育てられれば、ということや、心の拠り所となる信仰心を持たせることでした。
宗教が絡んだ話しだったので、思い切ってキリスト教のことについても書いてしまいましたが、書かない方が良かったかな、後で削除するかもしれません…
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