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肝臓がんと肝硬変と闘った父の死


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こんにちは。カルメンです。肝臓がんと肝硬変と闘った父が静かに息をひきとりました。病院から電話が来て午前3時に外へ出たら、外気温マイナス29℃という寒さでした。 


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肝臓がんと肝硬変と闘った父の死

肝臓がんを宣告されたのは1年と4か月前でした。もともとC型肝炎ではあって、それから肝硬変にもなりました。

 

89才だった父は、ついこの間まで一人で何もかもやって生活していました。

 

最近は転びやすくなっていて、3か月前に老人会で温泉旅行に行ったとき、転んで頭と胸を打ち、それから「なんか調子が悪いんだ」と言っていました。

 

その後ベッドから落ちてもう一度胸を打ち、自分で救急車を呼び、入院しました。

 

それからしばらくして頭に血がたくさんたまり、脳がなすのような恰好になっていたときは昏睡状態に陥っており、緊急で脳外科手術を受けました。

 

今考えると、肝臓が悪くなっていて、出血しやすい状態になっていたのだと思います。

 

手術後、めきめき元気を回復したと思っていたのに急に食欲が減りだしました。

 

腹水がたまるようになり、利尿剤も処方され、しょっちゅうトイレに行くようになりました。

 

病院でまたベッドから落ちて、頭を何針も縫って、足元がおぼつかない状態でしたが、病院の壁にある手すりを伝って、トイレにはいつも自分で行っていました。

 

北海道で一人暮らしをしていた父を見舞って妹や弟が関東から駆けつけていましたが、彼らが北海道を去るときに、入れ違いで私が住んでいるオーストラリアから父のもとへ来ました。

 

父の主治医が、「今は退院できる状態」であると言われているとの情報を得て、家に受け入れる家族がいれば退院できると思ったのです。

 

折角父を退院させようと張り切って日本に来たものの、病院はインフルエンザの影響で面会禁止となっていて、1週間は父と会えませんでした。

 

父はインフルエンザにかかっているわけではなかったので、何度も病院側と交渉して、やっと父を家に連れて帰ることができることになりました。

 

父は病院で私と面会し、退院することを聞くと、最初は「ダメだよ」と言いましたが、次に「やってみるか?」と言い、「そうだな、家に帰ればやりたいこともいっぱい出てくるだろうからな」と言いました。「家に帰った方が元気になるな」とうれしそうに言ってくれました。

 

 私もそう思っていました。看護士さんから、筋力がないから退院はまだできないと言われたので、筋力の問題なら、家での方がリハビリにはいいのでは、と思ったのです。

 

それは私の妄想に過ぎなかったのだと気が付いたのは、それからずっと後のことでした。

 

 私は、父がトイレに行きやすいように、ソファーの背もたれを支えて行けるよう、ベッドからトイレまでの動線を確保しました。

 

父は、私が通販で購入した四点づえが届くまでの二日間は、杖なしでトイレまでも、ベッドからテーブルまでも移動できました。

 

父が欲しいと言った、おかゆと梅干を用意したり、近くの店まで炭酸ジュースを買いにいったりもしました。

 

四点づえが到着すると、「これ、具合いいな」と言って使いながらトイレに行ったり立ち上がったりするようになりました。

 

食べ物は少しだけしか食べてくれませんでしたが、だんだん食べる量も減っていきました。歩いたり、立ち上がるのも、私の援助が必要になってきて、本人も「ちっともよくならんなあ」と言いました。

 

トイレに行く頻度は夜も1時間から2時間に1回になり、夜は全然眠れていない状況になりました。結局家にいれたのは5日間だけで、再度入院することになったのです。

 

最後の日は、朝の3時半にかろうじて私も支えてトイレに行けましたが、朝の6時には、必死の思いで立ち上がらせても、歩くことはできなくなっていたのです。

 

おむつにしてくれといくら頼んでも、何としてでもトイレに行こうとする父は、その朝、食事もいっさい受け付けてくれませんでした。

 

急激に悪くなったのです。病院に連れていって、私は涙腺が壊れたかのように泣き続けました。

 

それから12日後の今日、父は息を引きとりました。父は今まで、一度も痛みや苦痛を訴えたことがありませんでしたので、それだけが救いでした。

 

ところが、昨日だけは違いました。激痛に耐え、本当に苦しそうな声を出し続け、見ていて涙が止まりませんでした。初めてモルヒネも使いました。

 

妹と弟も来ていたのですが、父がやっと寝たので家へ帰りました。夜2時20 分に病院から電話があり、外へ出ると、なんと、マイナス29℃と、この冬一番の寒さですごい寒かったです。

 

午前3時過ぎ、病室に行くと、父は酸素吸入をしていて、目を開いたまま、まばたきもしない状態でした。血圧が計れないほど低くなっているということでした。

 

父はあごを動かしながら一生懸命呼吸していました。手を握っていると、時々少し手が動いていました。呼吸の仕方がだんだん弱くなり、午前5時に父は息をしなくなりました。

 

主治医が来てくださり、父の死を確認してくれました。死亡時刻は5時12分に。 

 

肝臓がんと肝硬変と闘った父の死と向き合って

退院していた少しの期間に父は2度、「サンキュー。どうもありがとう」と言ってくれました。退院していた期間にどんどん悪くなっていったから、退院させたせいで悪くなったのではないかと、自責の念にかられましたが、今は、父の言ってくれた言葉に支えられて、退院させて良かったのだと思うことにしています。

 

今、隣の部屋に父がいます。野鳥がたくさん、餌を食べに来ていました。父が帰ってきたのを知っているかのように。